iwatam's serverのゲストブック 過去ログ

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No.955) 私なりのまとめ 風花(Mon May 23 14:06:52 2005)
「コラム:なぜエロゲーオタクは嫌われるか」について,いろいろ議論されてますね。私の閲覧ペースではログ追うのが大変です(^^;
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このコラムとその後の議論についていろいろ考え,私なりにまとめてみました。
まず,私はこのコラムの内容について,次のように一般化しています。
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A:社会通念上「嫌悪される」ようなことを肯定する内容のゲームを好んでプレイする人がいる。

B:Aの中には,そのゲームで肯定されているような「嫌悪される」ことを実際にやりたいと思っているが,やらない人がいる。

C:Bの中には,そのゲームで肯定されているような「嫌悪される」ことを実際にやってしまう人がいる。
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ここで,立場としては,
Cは嫌われても仕方ない,A・Bはそうじゃない。
B・Cは嫌われても仕方ない,Aはそうじゃない。
A・B・Cはどれも嫌われても仕方ない。
という3つがあると思います。(さすがにCも大丈夫というのは考えたくない(^^;)
--
ここで,
D:「社会通念上「嫌悪される」ようなことを肯定する内容のゲーム」というのは,その社会から見て嫌悪される。
という観点からの好悪判断を考えると,A・B・Cのいずれも社会通念上嫌悪されるものを好んでいるため,嫌悪の対象になりうる。
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BやCと,(BやCには含まれない)Aが同一視されたときに「自分はAではあるが,決してBやCではない。そう思われるのは心外だ。」という主張は正当なものだ。
しかし「(BやCではない)Aという立場を理解された上で」嫌われることについて「BやCと違うから」嫌われるべきではないという主張は的外れだ。
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結論としては「たとえBやCでなくても,Aである限り,Dの観点から,社会通念上は嫌われてもしかたない」となる。
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私は,この考えは特に間違ってないと思います。
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あとは「エロゲー」だとか「オタク」などの言葉の定義の問題ではないでしょうか。
一般的な文脈で使われる意味合い(と言うか,自分がその言葉を使う場合の意味合い)と,Iwatamさんのコラム内での意味合いがずれていて,時々混乱しかかります。
「ここで言ってるオタクというのはつまりこれこれこういう人のことだな」というような自分なりの言葉の再定義が頻繁になってくるので。
逆に言えば,「これこれこういう人」のことを「オタク」と表現するのは適当か,ということになると思います。
コラムに対するツッコミどころがあるとすれば,そのような点ではないでしょうか。
私は自分なりの言葉の再定義だけで矛盾なく読解できている(と勝手に信じている)ので,別にいちいちツッコむつもりはないですが。
No.957) 柴犬(Mon May 23 16:11:02 2005)
三段論法は取りこぼしがありそうでなんか「嫌い」なんですが、エロゲは社会通念上嫌われてもしかたないとは思います。というか、私はそう主張してます。理由はエロゲが「社会通念を思考の基盤に置く一般人」にとってキモい存在だろうからです。理由の部分は印象論というか論理的な説明がしにくいところです。ただ、例えば、女性に大人気の『NANA』がエロゲだったらこんなに大人気になったかと言えば、まずあり得ないでしょう。あの作品にはしばしばセックスシーンが出てきます。それを過剰にすることなく全てをそのまま描き、エロゲとして発売する。レーディングで購入できない層を考慮に入れてもまるで比べものにならない売上で終わる筈です。「少女マンガだけどすっごい面白い作品があってさ〜」「エロゲだけどすっごい面白い作品があってさ〜」この後同じ説明を行っても反応はやはり違うでしょう。2ちゃんねる発の『電車男』が何故か世間に受け入れられました。しかし、エロゲ発ならこんな事態にはなってないのではと思います。エロゲと一般人の距離はもの凄く遠い。最早覆せないほど悪いイメージがエロゲには貼り付けられており、そうラベリングされる以上、一般人には受け入れることは出来ない。つまりエロゲ=キモいの図式が一般人の中で不動の地位を確立してしまったのだと私などは思います。
私は『冬ソナ』やその他、韓流のラベルが貼られた映画やドラマが嫌いです。『シルミド』はちょっと見たいと思いましたが、その程度です。しかし、韓流の映画やドラマが消えてなくなれとは思いません。テレビを付けていて流れたらチャンネルを変えるだけです。
エロゲがキモいと思ってくれるなとか嫌いになってくれるなとは言いません。ただ、娯楽として存在するそれを潰そうとしないで欲しい。政府が法案によってエロゲを規制しようとしている今、エロゲ愛好者が望むのはその一点だけなのです。そしてそれは至極真っ当で簡単なことなのです。
えっとそれから、
>あとは「エロゲー」だとか「オタク」などの言葉の定義の問題ではないでしょうか。
一般的な文脈で使われる意味合い(と言うか,自分がその言葉を使う場合の意味合い)と,Iwatamさんのコラム内での意味合いがずれていて,時々混乱しかかります。
「ここで言ってるオタクというのはつまりこれこれこういう人のことだな」というような自分なりの言葉の再定義が頻繁になってくるので。
逆に言えば,「これこれこういう人」のことを「オタク」と表現するのは適当か,ということになると思います。
コラムに対するツッコミどころがあるとすれば,そのような点ではないでしょうか。
私は自分なりの言葉の再定義だけで矛盾なく読解できている(と勝手に信じている)ので,別にいちいちツッコむつもりはないですが。
とのことですが、コラムでは、
>エロゲーオタクが嫌われるのは、エロゲーをやっているからではない。エロゲーをやりたいと思うような、そしてエロゲーを面白いと思うような心理状態にある。そしてそれは人間性の未熟さに起因する。こころの問題なのである。
などと書かれていて、
>社会通念上嫌悪されるものを好んでいるため,嫌悪の対象になりうる。
なんて結論はどうがんばっても出てきやしません。
No.965) 言葉の再定義について 風花(Mon May 23 19:26:53 2005)
私なりの定義では,
「エロゲ」とは性的描写のある成人指定のゲームのことです。
「社会通念上嫌われるようなこと」というのは「(その社会において)禁忌とされているようなこと」です。(禁忌,という言葉の定義もまた難しいかもしれませんが・・・。)
その禁忌を肯定することが「不健全」,否定することが「健全」です。
何が禁忌で何が禁忌でないかを理解しているのが「正常」,してないのが「異常」です。
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「エロゲ」であるというだけで「不健全だ」として「嫌う」のは健全なエロゲにとっては不当な嫌われ方です。
しかし「不健全なエロゲ」を「不健全だ」として「嫌う」のは正当な嫌われ方です。
前者のような嫌われ方から生まれる排斥運動に対して反論するなら「いや,それは嫌うべき(不健全)ではない(ものも含まれている)」でいいでしょうが,そうではなく後者のような嫌われ方から生まれる排斥運動に対する反論であれば「確かに嫌われても仕方ない(不健全だ)が,排斥まですることはないだろう」としなければなりません。
後者に対し「いや,それは嫌うべき(不健全)ではない。」と反論してしまうと「何が不健全か」がわかってない,つまりは「異常な」反論になります。
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そのゲームの不健全さがわかっていれば,嫌われても仕方ないとして「不健全なエロゲ」をすると思います。それが「正常」な「不健全なエロゲ」オタクです。
自分がやってるのは別に不健全なものじゃない,と本気で思うのは「異常」な「不健全なエロゲ」オタクです。
どちらにしても,「不健全なエロゲ」オタクは,不健全なものを好んでいます。なので嫌われます。
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>エロゲーオタクが嫌われるのは、エロゲーをやっているからではない。エロゲーをやりたいと思うような、そしてエロゲーを面白いと思うような心理状態にある。そしてそれは人間性の未熟さに起因する。こころの問題なのである。
という文章を,私は(Iwatamさんがこのコラムで扱っているエロゲは,総じて「不健全なエロゲ」ですので),
「不健全なエロゲを好んでプレイする人が嫌われるのは,そのエロゲをやってるからではなく,不健全さ(禁忌)を好むという嗜好を持っているからだ。」という意味に読みます。
つまり,
>社会通念上嫌悪されるものを好んでいるため,嫌悪の対象になりうる。
ということです。
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分かりにくい文章ですみません・・・・・・
No.967) 柴犬(Mon May 23 20:38:27 2005)
繰り返しになりますが、
>社会通念上嫌悪されるものを好んでいるため,嫌悪の対象になりうる。
この点は否定しません。というか、私は、
>「エロゲ」であるというだけで「不健全だ」として「嫌う」のは健全なエロゲにとっては不当な嫌われ方です。
その不当に嫌われることすら仕方のないことだと思っています。既にエロゲが嫌いなんだから嫌って何が悪いという状況になっている。その辺は諦めてます。
ですが譲れない点は当然あって、風花が言われる
>「確かに嫌われても仕方ない(不健全だ)が,排斥まですることはないだろう」としなければなりません。
といったようなことを
>エロゲがキモいと思ってくれるなとか嫌いになってくれるなとは言いません。ただ、娯楽として存在するそれを潰そうとしないで欲しい。政府が法案によってエロゲを規制しようとしている今、エロゲ愛好者が望むのはその一点だけなのです。そしてそれは至極真っ当で簡単なことなのです。
といった形で述べています。
ふたつの文章は論調が違うだけで、本質的には何も変わりません。
そしてやはり食い違いが残るわけですが。それを解消するために要点だけを抽出すると、
人間性の未熟さ=不健全さ(禁忌)を好む
という図式になります。これで宜しいですよね? 違ったら言ってください。
で、そうすると、不健全なエロゲをやっている人は、人間的に未熟だとなるわけですが、私はその点について最初の書き込みの冒頭で疑義を差し挟んでいます。
>エロゲをプレイする人が嫌われるのは人間的に未熟だからだと結論されてますが、何故エロゲをやっている人間すべてが未熟だと断じることができるのでしょうか。社会を生きる一員としてキチンと仕事をこなし家庭を築いて子どもを育てている人間はエロゲをしないとどうして言い切ることができるのでしょうか。印象論ではなく、社会調査をした上での発言なのでしょうか。
エロゲは不健全なことを描くメディアだと思います。だから、
>「不健全なエロゲを好んでプレイする人が嫌われるのは,そのエロゲをやってるからではなく,健全さ(禁忌)を好むという嗜好を持っているからだ。」
これを否定しません。まぁ、嫌ってください。しかし、「不健全を好む=人間的に未熟」はおかしいと思います。おかしくないと思うなら、証明してみせてください。
(キツイ言葉になってしまってすみません)
No.968) 柴犬(Mon May 23 20:52:32 2005)
>ですが譲れない点は当然あって、風花が言われる
思いっきり敬称付け忘れてしまいました。正しくは風花さんです。お詫び申し上げます。すみませんでした。
No.973) 「人間性の未熟さ」の解釈について 風花(Mon May 23 22:54:43 2005)
敬称は無くても大丈夫です。お気になさらず。
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Iwatamさんは、コラムの中で
>この問題は2つに分離できることだ。つまり、「エロゲーは悪か」という問題と、「悪(と決めたもの)を勝手に排斥していいか」という問題の2つである。私は前者に対してはYes、後者に対してはNoと答える。
と書かれています。
これは、私の言葉で言うところの「確かに嫌われても仕方ない(不健全だ)が,排斥まですることはないだろう」になります。
ですから柴犬さんも、この点に関してはIwatamさんと論旨は同じということでいいんですよね?
くどいようですが確認です。
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さて、「人間性の未熟さ」という表現についてですが、Iwatamさんは「不健全さを好むこと」を「人間性の未熟さ」と言っていると思います。
自分の嗜好が不健全であることを認識すれば、自分の嗜好について「後ろめたさ」のようなものを感じるようになります。それは自己嫌悪につながり、自己肯定のためにその嗜好を健全なものに向けるよう改善しようとします。そうすることが「未熟」から「成熟」へ成長(?)するということです。
というのが、Iwatamさんの言いたいところではないでしょうか。
これを「人間性の未熟さ」という言葉で表現するのもどうなのかと思いますが、要するにそういうことじゃないかと。
私なら「社会性の欠如」とか表現しますかねぇ・・・(これもちょっと違う気もしますが(^^;)
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私はこのように解釈していますが、どうでしょうか。
No.1001) 柴犬(Tue May 24 00:32:07 2005)
私はエロゲを悪と思っていないので両方「NO」なんですけどね。健全・不健全や悪といった言葉について込み入った話をしなかったのは少しマズかったですね。反省。
「不健全」(広辞苑:精神・思想・もののあり方などが普通でなく、かたよっていること。「―な思想」「―な出版傾向」)だから「後ろめたい」にはまあ繋がるかなとは思いますが、しかし、自己嫌悪には繋がりません。エロゲ愛好者が後ろめたいと思うとして、それは、自分の嗜好が世間にとってマイノリティだということを自覚しているからです。従って自己嫌悪にもつながりませんし、自己肯定の為に嗜好を健全化(一般化)しようとはしません。未熟だなんてもっての他ですよ。
それに、Iwatamさんはコラム:ルールと自我において
>何をやってもよくて何をやってはいけないのかを決めるのは、ルールではなく自分だ。そして、それを自分で決める以上、自分は絶対的に善である。そうした考え方を持てない人は、常に「お前は悪」と言われることにびくびくしなければならなくなる。

まず、自分が絶対的に正しいということを認めた後で、他人も(他人の基準において)絶対的に正しいということを認める。今までは、前者はできていても後者ができていない人が多かったから、「他人を尊重しろ、ルールを守れ」というメッセージを皆は流してきた。しかし、最近、前者ができない人が増えてきた。そういう人は、他人を尊重する前にまずすることがある。

自分を尊重できない人は、他人も尊重できない。自分を尊重できない人間に「尊重」という言葉の意味はわからないからである。ルールを破れない人は、ルールを守れない。ルールは破らずに守っているから意味があるのであって、破ることができないのは守っているとは言わない。
仰っておられ、そしてルールは、
>ルールとは、皆が持ち寄った「やってもいいかどうかの判断」の集合体だ。これを読むと、「ああ、自分の判断はおおむね正しいんだな」とわかる。
と定義されてますから、
社会が不健全だと言ったとしても自分が不健全(後ろめたい)と思わなければびくびくする必要なんてないってなります。
それと、先に言っておきますが、今回に関しても、Iwatamさんと私の考えは重なりませんよ。
>エロゲ愛好者が後ろめたいと思うとして、それは、自分の嗜好が世間にとってマイノリティだということを自覚しているからです。従って自己嫌悪にもつながりませんし、自己肯定の為に嗜好を健全化(一般化)しようとはしません。

>社会が不健全だと言ったとしても自分が不健全(後ろめたい)と思わなければびくびくする必要なんてない
は一見同じように見えるかも知れませんが、自分の嗜好が世間にとってマイノリティに過ぎないから自己嫌悪につながらないのと自分は絶対的に善であるからルールとどうかけ離れていても自己嫌悪する必要がないとでは根本的に異なります。
というか、コラム: なぜエロゲーオタクは嫌われるかとコラム: ルールと自我は逆のことを言ってるんですよね。
片方はルールを守れないエロゲオタは人間的に未熟だ(>正常な人間だったら、人に首輪をつけるような行為は許せない。小学生の女の子に性的なイタズラをしている所を見かけたら怒りを感じる。実際にこんな奴を見かけたら、有無を言わさずぶん殴る。これが「正常な人間の感情」だ。そして、そうした「正常な人間の感情」を持てないことを問題視しているのだ。これに対して「俺は空想と現実の区別はちゃんとついている」と言ってもあまり意味がない。)と言い、
もう片方はエロゲオタは自我を確立できていないからルールを守ってばかりいる(>自我を確立できていない人、自立できていない人だ。何をやってもよくて何をやってはいけないのかを決めるのは、ルールではなく自分だ。そして、それを自分で決める以上、自分は絶対的に善である。そうした考え方を持てない人は、常に「お前は悪」と言われることにびくびくしなければならなくなる。

まず、自分が絶対的に正しいということを認めた後で、他人も(他人の基準において)絶対的に正しいということを認める。今までは、前者はできていても後者ができていない人が多かったから、「他人を尊重しろ、ルールを守れ」というメッセージを皆は流してきた。しかし、最近、前者ができない人が増えてきた。そういう人は、他人を尊重する前にまずすることがある。

自分を尊重できない人は、他人も尊重できない。自分を尊重できない人間に「尊重」という言葉の意味はわからないからである。ルールを破れない人は、ルールを守れない。ルールは破らずに守っているから意味があるのであって、破ることができないのは守っているとは言わない。)と言ってるわけですから。結局どっちなんですか? Iwatamさん。

No.998) 一部の意見が一緒だからといって…… TYらいた(Tue May 24 00:20:11 2005)
うん。風花さんの言ってるところまでは正しいし、認めてる人も多いと思いますよ。
おっしゃている通り、社会的に嫌悪されてるについてはまだまだ深く書けますが(認められにくいマイノリティとその対象ってあたりで)
反論の仕方はうまいことまとめてると思います。

ただ、iwatamさんと風花さんの意見は全く違う。<私が言いたいのはこの一言です。
風花さんは結局最初からその意見があってコラムから重なる部分を合う様に読んでいるんじゃないでしょうか?

iwatamさんにとっては
・エロゲーを面白いと思うような心理状態自体にある。
・少数派だからというのではなく、先入観や偏見によるものでもない。心理的な問題によるものだ。(後略)
つまりA=B=C=「異常」(人間性の未熟)=「悪」とし、存在自体、人間として問題有りとする。

この極端な意見の理由として
・「正常な人間の感情」を持てないことを問題視、「俺は空想と現実の区別はちゃんとついている」と言ってもあまり意味がない
・「エロゲオタなんぞ、一般人から見たら薄気味悪い変態でしかないんだから、いくら反論しても無駄」「ここでいう反論とは「俺達は薄気味悪くはない」という論です。」
フィクションに対しての感情と現実に対しての感情を同一視していて、(どっちが区別ついてないんだか……)
多数派の主観を絶対の善としてマイノリティを認めていないと読める。(そして自分は常に多数派であるとする)

結局
異常者の精神安定剤として規制はしないでやるから、異常者だと認識して消えろ。(いままで何人も言ってるように、コレしか残らない)
となる。

風花さんは「社会的に嫌悪されてる行為をフィクションとはいえ好むものは嫌悪される。」
iwatamさんは「社会的に嫌悪されてる行為はフィクションだろうと許されない。好むものは異常で、人間として未熟だ。」
根拠なくエロゲーだけでなくプレイヤーの人間性にまでレッテルを貼った存在否定です。

つかさー、これだけ散々エロゲオタの人間性否定しておいて
>「エロゲーは悪」と言われると、まるで「お前は悪」と言われたのと同じようなショックを受ける。「人間どこかしら悪いところはあるさ」と思えない。
なんてしれっと書く奴の意見まとめる価値ないって。

No.975) 風花氏の勘違いしている点 三ニ零(Mon May 23 23:08:08 2005)
・
No.955) 私なりのまとめ、において「エロゲーは社会通念上は嫌われてもしかたない」という
結論を書いているが、今回ツッコまれているのはそこでは無い。

「エロゲーを嫌うな」 などと誰も言っていない。

 A・私はエロゲーが嫌い
 B・エロゲーは多数派に嫌われる
 C・嫌われるものは実害がなくても叩いてよい

管理人のコラムがこの3命題を混ぜて書いている点がツッコまれているのだ。

 α・「エロゲーは社会通念上は嫌われてもしかたない」
 β・「社会通念上嫌われるものは根拠なく犯罪の原因にされてもしかたない」

バッシング報道批判はβに対して行われている。そしてα(風花氏の結論)については誰も否定していない。
だが、管理人はαをもってβを批判している。そこが矛盾点なのだ。

風花氏も管理人と同じで、「論理がおかしい」という指摘を「エロゲーを嫌う人はおかしい」という内容に
取り違えていないか? もしそうなら、それは誤解だ。

もう一度言う。
■エロゲー嫌いの是非ではなく、「記述がおかしい」のが今回の問題点だ。■
・
No.1006) Iwatamさんの記述 風花(Tue May 24 00:46:19 2005)
うーん・・・。ちょっと混乱中。頭の中を整理するので大変です。
------
Iwatamさんはコラムの中で
>バッシングに対して怒っている多くの人は、「エロゲーをやることによって犯罪行為に走るから」非難されているのだと思っている。
>これがそもそもの間違いだ。人々が非難するのは、犯罪行為やその予備軍が現れることへの懸念ではなく、エロゲーをやること自体なのだ。
と書かれており、これは、今のバッシング報道が三ニ零さんの示したβという考えに基づくものではないと、β的な立場からのバッシングをコラムの論の中から排除していると思うのですが。
なので、βについては語らず、αの考え方について考察しているだけのように読んでいるのですが。
------
>管理人はαをもってβを批判している。
というのはコラムのどの辺りに注目して読めば読み取りやすいですか?
自分の読解力に限界を感じる・・・(^^;
No.1019) 記述の問題 三ニ零(Tue May 24 07:01:28 2005)
・
>β的な立場からのバッシングをコラムの論の中から排除している

そうであるなら、「バッシングに対して怒っている多くの人」という記述はおかしい。
ネットで見かける報道批判の多くはβに対するものだからだ。
それは管理人自身が、

 >「いや、オタクの多くは犯罪行為とは無縁だ」と弁護する

と書いている事自体が証明している。
つまり、αのみに対して論じようとしているにも関わらず、βに関わる「怒っている多くの人」を
引き合いに出すから記述がおかしくなっているのだ。

これでは「論の中から排除」できているとは言えない。

だから結果的にαでβ批判者を批判するような内容になっている。
つまり「記述上の問題」なのだ。

-------------
注:No.975訂正箇所
 × αをもってβを批判している
 ○ αをもってβ批判を批判している
(No.1006での風花氏の混乱がこの誤記の所為でしたら謝罪します)
No.1029) αとβ 風花(Tue May 24 07:38:31 2005)
あー、なるほど。少し見えてきた気がします。
つまるところは、やはり「今のバッシング」に対する認識の部分ではないですか?
Iwatamさんは、バッシング批判者はβ批判をしていると認識しています。
しかし、バッシングはαに基づくもので、βではないと考えています。
つまりIwatamさんにとって、今のバッシング批判者の多くはβ批判をもってαに反論しているように見えています。
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私の立場は、「実際に」今のバッシングがαかβかはさておいて、もしαであればと「仮定」した場合、β批判をもってαに反論するのはおかしいのではないか、というものです。
----
今のバッシングが「αかβかそれ以外か」
今のバッシング批判は「αに対するものかβに対するものかそれ以外か」というような現状認識はIwatamさんの主観です。
そこに文句つけてもはじまらないので、そうであると仮定した場合に、そこから導かれる結論は私の出すものと同じかどうか、という観点から私はこのコラムを読んでいます。
No.1031) その「仮定」が無いのが問題 三ニ零(Tue May 24 10:32:37 2005)
>現状認識はIwatamさんの主観です

そう。そしてそれは風花氏の指摘する通り、「仮定」なのだ。
にもかかわらず「断定」で語ればどういうことになるか?言うまでもないだろう。
何度も言うがそれは「記述としての問題」だ。
風花氏は「仮定した場合に」と書いておられるが、それは本来管理人がコラムの中で記述していなければならない言葉だ。
その問題を自覚していないから無駄にツッコまれ、混乱が拡がるのだ。

それから、

>(管理人にとって)今のバッシング批判者の多くはβ批判をもってαに反論しているように見えている。
>(今のバッシングが)αだと仮定するなら、β批判をもってαに反論するのはおかしい

この「おかしい」というのは、

 「エロゲーは、実害ではなく、嫌悪によって叩かれているのだから、実害の無さを主張しても意味が無い」

ということだと思うが、コラムにおいてその話が進んだ先は、

 2A・嫌悪は当然なので叩かれても怒るな。

という結論になっているのだ。もしこれが

 2B・嫌悪は当然なので報道批判運動のやり方を工夫すべきだ。例えば〜

という発展的なものであったなら今回の様な騒ぎにはならなかったかもしれない。
しかし、2Bではなく2Aの結論となっている背景には管理人自身の「エロゲー嫌悪」↓が見て取れる。

 No.897>俺はエロゲオタが嫌いだ。
 No.895>エロゲオタなんぞ、一般人から見たら薄気味悪い変態でしかないんだから

そしてコラム中にも攻撃的な記述が散見される。
これでは単なる嫌悪表明を理屈で飾っているように受け取られてしまうだろう。

もし「嫌悪感覚の一般性」だけについて語るのであれば、個人的嫌悪や報道批判などの話題とは
絡めるべきではなかったし、そうした記述のまずさの為に
 
 2α・自身の嫌悪
 2β・嫌悪感覚の一般性
 2γ・実害なき、嫌悪による迫害

という3つの論題が混ざってしまっているのが現在の状況だ。

風花氏はNo.955)で今回のコラムを「エロゲーは社会通念上は嫌われてもしかたないか?」という命題(2β)
として解釈されているが、問題はその命題の真偽以前、つまり論題が混ざってしまう記述のマズさにあるのだ。

現時点では管理人の真意が2βなのか、それとも2αの為に2βを援用しているのかよく分からない。
そしてNo.897等に見られるように、後者の可能性を高める材料を自分で出してしまっている時点で
2βと認識されるには不利な状況が続いている。
No.954) 風花さんとiwatamさんへ エリー(Mon May 23 11:22:29 2005)
 週末は用事があって接続出来なかったので、返信が遅くなってしまいました。
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 お二人のやりとりで、自分が言いたかったことがはっきりしました。「おせっかい」と「他人の言いなり」という分類は面白いですね。抽象的な言葉より、日常的な言葉で言ってくれるとよく分かります。
 上手くまとまらなかったけれど、話題になっているエロゲーについて、利他・利己で検討してみました。意見を聞かせてください。
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<エロゲーが嫌な理由>
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 自分が女の場合、ゲイというのは抵抗がない。その人が好きなのは男であって、女の私には無関係だから。その人を自分が好きでない限り、「そうなんだ」で済んでしまう。
 でも女の場合はちょっと考える。自分が性の対象として見られているのか、友達なのか分かれば安心する。
 男女の場合でも、友達とはっきり区別がついているならいいけれど、そうではないと対応が微妙だと思う。
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 相手が自分に好意を持っている。自分も相手のことが嫌いではないが、好意に応えることは自分の利益にはならない。その「自分次第」という状況で、「嫌なものは嫌だ」といい続けるのは辛い。だから離れていくことを選ぶと思う。
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 私にとって「健全なエロゲー」というのは、「自分の好きな人に見せられるか?」だと思う。だから人前でわざわざしていることを言わないけれど、男女間で「してもいい」と暗黙の了解があることしかテレビで放送されない。
 もちろん、「してもいい」は人によって違うけれど、「私は嫌だ」とか説明する為のきっかけを提供してくれるのだと思う。だから同じ音楽や本を好きな人となるべく付き合うようにするのだと、最近やっと分かりました。
 同じ女性でも自分の裸に魅力があることを誇りに思っている人もいるし、そんなことは恥ずかしいと思う人もいる。それはプロポーションがどうとかの問題ではなく、価値観の問題です。
 自分は裸を見せたいとは思わないけれど、プロポーションを維持する努力は偉いと思うし、実際に見て美しいと思う。そこには「彼女には性的な魅力があり価値がある」という尊厳があるから不快にはならない。もし不快感を感じたとしても「自分より相手に魅力を感じるのか?」という嫉妬であって、人格を否定されている嫌悪感ではない。
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 「利他主義者」を適応するなら、「現実と妄想の区別はついているけれど、本当はあなたに首輪をつけて犬のように飼ってみたいのだよ」と言われて、相手を否定できなければ、「叶えてあげた方がいいのだろうか?」と迷うと思う。風花さんが「言いなりになる」と定義してくれた方です。
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 もちろん、私は否定します。「自分はそんな扱いを受けなければ誰からも愛されない」などとは全く思っていないから。
 でも自分の価値がよく分からない子供が、露骨な要求に応えることで好意を勝ち取ろうとするのは可哀想だと思う。商品として品定めされているだけで、愛とは違う。たとえ商品として選ばれても、商品である以上気に入らなければ捨てられると思う。次に選ぶのはたぶん前より酷い人だと思う。
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 具体的に区別するなら、SM趣味を否定はしないけれど、「自分には価値がない」と思っている子供がサディストの餌食になるのは納得がいかないと思う。ましてそれが何も分かっていない自分の娘が対象になる児童ポルノなら、親として駄目だと思うのは自然な感情だと思う。
 どういうことになるのか分かっていてやっているのか、分からず迎合するだけなのかの違いがある。
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 もし「妄想だけならいい」というなら、「私はあなたのことが嫌いだけど、自分の手を汚すのは嫌だから、事故にでもあって死んでくれればいいのに」と本当は思っているのに、「人のことを嫌うのは悪いことだから」と相手の前ではニコニコ愛想よくして一緒にい続けようとする人間を許せるでしょうか?
 私は嫌です。たぶん「相手もそう思っているのではないか?」と疑い始め、「事故に遭っても誰も助けてくれないのではないか?」と思うだろうから。
 エロゲーの場合、立場が男女で区別されているから「自分の身に降りかかる」という想像はしないのでしょうか?
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 性的な妄想だからではなく、「自分はされたくなけれど、他人にはしたいこと」だから嫌なんだと思います。「私だってされたくないんだからね!」と、誤解されないように宣言しているだけだと思う。監禁されてからでは遅いから。
 バッシングするのに理由が必要だから、理由付けしているけれど、要するに「されたくないです」と言っているだけだと思う。だって「否定しないからいい」と思われたら困ります。否定しないではいられないくらい不安にさせるものだから嫌なんです。
 なぜなら、その人が「こんなことをするのは悪いよね」という感想を持ったのか、「自分もやってみたい」と思ったのかは第三者には分かりません。口だけなら何とでも言えるからです。全く知らない他人なら判断しようがないので、とりあえず避けます。まないたの鯉状態に置かれれば、逃げたくなるのは当然だと思う。
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 分かった。「本当は喜んでいるのではないか?」という妄想をもたれることが嫌なんですよ。だから必死に「絶対に思わない!」と回避しようとしている。
 鉄道マニアは、「本当はやってみたいのに恥ずかしいから我慢しているのではないか?」などと思わず、自分しか楽しくないことを納得しているし、つまらないと思っている相手に押し付けてはこない。相手がないことだから誰も困らない。でもエロゲーは対象者がいる。対象者になれば、存在するだけで不安になる。だから積極的に嫌悪する。
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 「本当は喜んでいるのではないか(喜ぶ女もいるのではないか)?」という妄想が「おせっかい」の方に該当すると思います。そしておせっかいをする人は、おせっかいだと思ってないので迷惑する。
 「嫌だと言えば自分にはされない」という保証を得るのは、見知らぬ他人だと不可能に近い。こちらの意思を尊重してくれる根拠もない。
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 エロゲーだからではなく、「不安を感じる人間を安心させる事が出来るか?」が問題なのではないでしょうか?
 「不安を感じる」が本人の行為に対して本人が感じるなら社会的な問題にはならない。「他人の行為に対する不安」、「自分が他人に与える不安」が問題になる。
 なんだか「利他・利己の定義の難しさ」に話が戻っていきますね。どう思います?
No.956) 柴犬(Mon May 23 14:20:18 2005)
お呼びではないでしょうが、読んでいたら発言したくなったので。ご容赦ください。

一つめのパラグラフは自分に関係ないならいいけど、悪影響を及ぼすのはやめてほしいということでしょうか。二つめ三つめは私の読解力不足なのか何を仰りたいのかよく判りません。
四つめ五つめは価値観によるでしょうね。「好かれたいから従順になる」というのではなく「対象者が好きだから欲求に応えてあげたい」という考え方も存在するわけです。この辺の問題は多分答えは出ません。
六つめの
>「自分には価値がない」と思っている子供がサディストの餌食になるのは納得がいかないと思う。ましてそれが何も分かっていない自分の娘が対象になる児童ポルノなら、親として駄目だと思うのは自然な感情だと思う。
激しく同意、ですね。その通りだと思います。多分一般人エロゲ愛好者問わず多くの人々が現実においてそんなことがおきれば激しく非難すると思います。
七つめの
>もし「妄想だけならいい」というなら、「私はあなたのことが嫌いだけど、自分の手を汚すのは嫌だから、事故にでもあって死んでくれればいいのに」と本当は思っているのに、「人のことを嫌うのは悪いことだから」と相手の前ではニコニコ愛想よくして一緒にい続けようとする人間を許せるでしょうか?
これには全く同意できません、というか許せます。「人のことを嫌うのは悪いことだから」とはまた別の理由になりますが、嫌いな人と折り合うなんてことは社会に生きる上で当たり前のことだと思います。会社の上司が殺してやりたいぐらいに憎かったとしてもそれが自分の上司である以上「心の中では死ねと思ってるんですよ」なんて言えるわけありません。自分の気持ちを殺してでも優先させなければならないモノが社会生活においては沢山あります。我が儘ではいられないのです。嫌なら辞めればいいというのは逃げにすぎません。養うべき家族がいたり、再就職が困難であったりする局面はやはり有り得るのですから。勿論自分の気持ちに正直になって且つ自分(と周りの人)が幸せになれるならそうすればいいと思います。それだけの能力があるのは素晴らしいことだと思います。しかし、皆が皆そう出来るわけではないということを忘れないでください。そして、私は、嫌いな人とも折り合って生きていける人こそが大人なんだと思います。
八つめ
> 性的な妄想だからではなく、「自分はされたくなけれど、他人にはしたいこと」だから嫌なんだと思います。「私だってされたくないんだからね!」と、誤解されないように宣言しているだけだと思う。監禁されてからでは遅いから。
 バッシングするのに理由が必要だから、理由付けしているけれど、要するに「されたくないです」と言っているだけだと思う。だって「否定しないからいい」と思われたら困ります。否定しないではいられないくらい不安にさせるものだから嫌なんです。
何故、されたいと思っているかされたくないと思っているのか、エロゲをプレイしている人間だと判断できないと思われるのでしょうか。そう思われるかもなと頭では判っていても悲しい気分になります。例えばエロゲなんて全然しない恰好いい男性が居て、女性を飲みに誘う。女性は男性のことを何とも思っておらず、まぁ、奢ってくれるって言うからいいかぐらいの気持ちで付いていったらぐだぐだになるまで飲まされて部屋に連れ込まれて襲われたなんてことは、現実だと全く起こり得ませんか? 「だって付いてきたし、OKなのかと思った」なんてことはエロゲをやらないと考えつきもしませんか? そんなの本人の問題でしょう。
次のパラグラフでも
>鉄道マニアは、「本当はやってみたいのに恥ずかしいから我慢しているのではないか?」などと思わず、自分しか楽しくないことを納得している
と仰っておられますが、「この人は鉄道嫌いって言ってるけど、好きに違いない」って思う鉄道マニアがいないなんてどうして言えるんですか。エロゲが好きだから、鉄道が好きだから、その両方が嫌いだから、そんなことで現実と妄想の区別が付く付かないは決まりませんよ。
エリーさん自身が最終パラグラフで仰っておられます。
>エロゲーだからではなく、「不安を感じる人間を安心させる事が出来るか?」が問題なのではないでしょうか?
その通りです。不安を感じる人間を安心させられるか否かは、エロゲをプレイしているか否かではありません。ですから、エロゲがバッシングを受ける謂われなんてないのです。

No.961) こんにちは^^ エリー(Mon May 23 17:13:09 2005)
 同性愛者の話は、「当事者にはならないので、問題を解決する立場にない」という意味です。該当する立場になるなら、現実になった場合に備えていろいろ考えます。女性が女である自分に恋愛感情を持つことはありえるかもしれません。でも男性が男に恋愛感情を持ったとしても、その「男性自身」か「男性が好きになった相手」と自分が係わり合いがなければ、問題を解決する立場にはありません。当事者の対応を待つしかないことだから、「そうなんだ、それで私にどうして欲しいの?」となるわけです。普通の恋人宣言と変わりません。「僕達付き合っているんです」に「そうですか、よかったね」と答える以外に何かあるでしょうか?
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 もし知人がエロゲーを買ってきたからといって、即「現実にやりたいと思っているのではないか?」とは思いません。そんなこと思ったら誰とも話せません。でも、全く知らない状態でなら判断しようがありません。容姿も言動も当てにならないからです。監禁した男性だって、最初は調子よく女性を誘い出しています。決して、「私は監禁したいけれど、あなたを監禁してもいいだろうか?」などと言う訳がありません。そういう意味で、「危険な場所には行かないという選択をする」と言っているのです。女性が風俗店が建ち並ぶ場所に近寄らないのは自然なことではありませんか?
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 二つ目は「対象者が好きだから欲求に応えてあげたい」と思った場合、「持っていた欲求が叶えられないことだったらどうするか?」という問題です。その欲求以外はその人を好きな場合、どうするべきか悩みませんか?
 例えば「自分は友達として好きな異性」がいたとします。けれど相手は自分を友達ではなく、それ以上を望んでいる。その相手と友達として付き合っていくことはできるでしょうか? 好きな以上期待してしまうだろうし、期待させないように振舞う方も気疲れがします。だから「好きです」などと安易に告白出来ない。友達ですらいられなくなるくらいなら、友達のままでいようとする。
 もっとストレートに、自分にはSM趣味はないけれど、相手がそれを望んでいることが分かった場合、いくら相手が好きでも「その要求にこたえることは出来ない」というケースは? 一度だけ聞かれて相手があきらめてくれればいいけれど、毎回「一度だけでいいから」といわれ続けたら精神的苦痛を感じませんか?
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 「妄想だけなら許される」の例は、夫婦や友人関係を想定しています。上司と部下なら「それでも相手が好きである(好かれたい)」という悩ましい問題がありません。私でも同じことをすると思います。
 本来、恋人や友人である以上、憎しみ合っているのはおかしいですよね? でも親子の場合は選択は出来ないし、歳月が経つうちには互いの価値観も変わってくるかもしれない。それでも「自分を好きでいてくれる」という信頼関係があるから、上司には言えない愚痴を友達に言う。その友達に「死ねばいいのに」と思われていたら嫌ではありませんか?
 恋愛も同じだと思うのです。エロゲーが性愛を扱う以上、関係の仕方に嫌悪感を持つのは仕方がないと思います。
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 最後は、「あなたが何を好きでも構わないけれど、その好きな対象自体に不快感を感じ、尚且つ自分が該当してしまう不安」を問題にしています。エロゲーをしない人にとって問題点は、「私(もしくは自分の子供)が犯罪を避けるにはどうすればいいのか?」なんです。
 「1万人に一人の割合でしかいない」としても、「その一人に自分がならないように防衛する」という意味で「分からないことは避ける」のは当たり前の防衛手段です。「危険な場所だから行ってはいけません」と子供に教えるのと同じです。
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 集団になった場合、「エロゲーをプレイしている人に判断力があるか?」が判断基準ではありません。していようが、していまいが、「犯罪被害者を出さない為にはどうすればいいか?」が問題なのです。
 安心する為の指標が欲しいから特定の集団を血祭りに挙げて差別しているだけでは、防犯の役には立ちません。ただ、それを理解する為の手がかりにはなります。「興味がある」という点で、「どんな興味なの?」と気になる訳です。
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 もし柴犬さんがエロゲープレイヤーだとしても、「現実に実行しようとするか?」に私は「現実には実行しないと思う」と答えます。なぜなら、本当にしようとしている人が誤解されることに憤りを感じたりはしないと思うからです。本当にそう思っているなら、疑われないように振舞うと思う。
 でも「エロゲーをする人は犯罪に走りやすい」が間違いなら、「知人はエロゲーをしているけれど犯罪を犯すような愚かなことはしないから、全てのプレイヤーを信頼すべきだ」と言うのも間違いだと思います。
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 柴犬さんが頭ではわかっていても悲しく思うように、女性側も頭ではわかっていも不安に思うのです。
 私は「犯罪者と誤解される怒り」も「被害者になってしまう不安」も同じものだと思います。立場が違うだけで善悪の問題ではありません。相手のことが分からないから不安になる。
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 鉄道マニアの対象は「鉄道」です。鉄道はものなので「自分がどう扱われるか?」を不安になったりはしません。たぶん大切にしてくれるでしょうから、たとえものに心があっても心配しないと思います。
 エロゲーの対象は「性」です。人間だから問題なのです。もし自分の写真に五寸釘を指され「これは本人ではなく写真だよ」と言われても、相手から「悪意」を感じないでいられるでしょうか? たとえ自分以外の女性であっても、それが絵であっても、「されたくないこと」には不安を感じます。「誰」と特定出来ない相手からの悪意ほど怖いものはありません。その「不安を感じる」という感情を否定したなら、ホラー映画は成り立たなくなります。
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 「エロゲーを規制すれば不安は解決する」という問題ではありません。どうすれば解決すると思いますか?
 私は集中して考えているのに、「ぼーっとしている」と言われてしまう。知人はぼーっとしていても考えているように見える。でも何もしてないのに疑われて職務質問されるらしいです。疑われる機会が多い男性は「誤解」にどう対抗しているのでしょう?
No.966) 柴犬(Mon May 23 19:33:03 2005)
なんか初めて建設的な意見交換が出来たような気が。ご挨拶が遅れました。こんにちは。
>二つ目は「対象者が好きだから欲求に応えてあげたい」と思った場合
>「妄想だけなら許される」の例は、夫婦や友人関係を想定しています
ここら辺はエロゲの議論に関係なかったですね。中途半端にレスしてしまってすみません。
>危険な場所には行かないという選択をする。
うん、人を外見で判断することは出来るだけ避けるべきかも知れませんが、判断することで免れられる危機があるかも知れませんしね。いかにも喧嘩慣れしてそうな金メラパンチパーマのお兄さんが「おい、あんちゃん」なんて話かけてきたら私だってうわぁと思ってしまうでしょうし。たとえ財布を落としたのを見て声を掛けてくれたのだとしてもね。君子危うきに近寄らず、一理あります。
その指標にエロゲ、あるいはエロゲに対する興味内容を用いられるのは悲しいことですが仕方のないことでもあります。重要なのは性犯罪からどうやって自分の身や子どもを守るかということなのですし、取りあえずエロゲ愛好者を回避しておこうと思われたならそうしたらいいと思います。
ただし、エロゲを規制しようとはしないでください。避ける為の指標と成りうるなら、一般の方々にだってエロゲの存在は利益をもたらす筈です。
「エロゲをしているけれど犯罪を犯すような愚かなことはしないから、全てのプレイヤを信頼すべきだ」なんて言ってませんし言いません(というか言えないです)。エロゲをプレイしつつ犯罪をおかした人間がこの間逮捕されたのはその証左です。しかし、それはエロゲが悪であった為にプレイヤが犯罪に走ったのではなく、たまたまプレイヤが犯罪者だけだった話です。そうご理解いただければそれでいいのです。
エロゲを規制することが性犯罪抑止につながると本当に考えているのか、ただ口実にしているだけなのかは判りませんが、その手の輩によって今エロゲは規制の危機にあります。一般の方々が、マスメディアの報道を鵜呑みにし、規制側に回るのではなく、「「エロゲーを規制すれば不安は解決する」という問題ではない」という考えを持ってくださることを一エロゲ愛好者として望む次第であります。
以上、論旨の確認のレスでした。お返事ありがとうございました。
追記。解決方法については、その、特に有効な方法を思いつきません。人間が人間である以上間違いも欲望もなくならないわけで、そうである以上、性犯罪を含む全ての犯罪の根絶は不可能でしょう。よって次善策としてどうすれば減るかを議論することになるわけですが、中々に、……その。
>疑われる機会が多い男性は「誤解」にどう対抗しているのでしょう?
誤解されないようにするとしか……。
痴漢に間違われないように満員列車に乗らないとか乗っても両手ともつり革にやるとか頑張っているみたいです(他人事のように)。
中身のない返答で申し訳ない。
No.1086) 誤解について エリー(Wed May 25 10:09:43 2005)
 立場が違えば問題にしている場所が変わることを理解してもらえて私も嬉しいです。
 「規制する・しない」を言い合っても解決はしません。私は「規制して欲しくない理由」が分かったから、「解決したら規制されずに済むかもしれない問題点」について書かせてもらいました。
---
 当事者ではないので、規制に対して積極的に何かする立場にはありませんが、「悪意を問題にしている」と分かってもらえて安心しました。
---
 個人的には、「誤解」を本人が解くのは難しいと思います。でも日々の生活から信頼を得られれば、身近な他人が弁護してくれると思います。
 弁護してもらう為にいい顔をしても駄目です。言っていることとやっていることを同じにするば誤解が解けた時に信頼されると思います。
---
 男性にとって誤解されないように信じてもらうことが大変なら、女性にとって不安に負けずに伝えることは勇気がいります。
 私にはそういう関係を築いた人間がいます。だから怖いながらも発言する気になったのです。「男である」というだけで彼が犯罪者と疑われたら悲しいからです。
---
 信頼関係は個人的なものです。何でも言うのは関係を気づいた人間だけです。
 正直言って、感じたことの全てを書いたわけではありません。でも絶対に拒否した方がいい相手だとも思わなかった。やっぱり思った通りそんなに悪い人ではないと返信から感じました。それでもそれ以上にはなれません。
---
 でももし本当は「規制で問題は解決しないけれど、自分からは遠ざけたい」と思っているのに、「規制なんてよくないよね」と理解したフリをされたらどう思いますか?
 理解したフリをしたら規制問題の解決の糸口はなくなると思いませんか?
 「妄想だけなら許される」は「口で賛成と言うだけなら、反対行動をとった訳ではないから許される」と同じ態度だと私は思うのですが、どう思いますか?
No.997) 怒りと不安について 三ニ零(Tue May 24 00:18:18 2005)
>「不安を感じる人間を安心させる事が出来るか?」
 >「犯罪者と誤解される怒り」も「被害者になってしまう不安」も同じ

「誤解される怒り」には「対話」で、「不安」には「理解」で抗するのが正道でしょう。

バッシング報道批判者達はマスコミにメールを送ったり、blogで疑問を呈したりすることで
何とか「対話」に持ち込もうと努力している。

一方あなたは「理解」の為に普段なにをやっていますか?

http://kangaeru.s59.xrea.com/toukei.html
ネットのおかげで犯罪件数推移のデータなども入手し易くなっています。
こうした資料を見る限り「ポルノ増加 → 性犯罪増加」という因果関係が虚構であることや、

 「実は不安の最大要因は『報道』による『煽り』にあるのではないか?」

という新たな疑問も得ることが出来ます。
TVの視聴率競争などを考えると、「不安を煽る事による経済効果」は無視できません。

自分を「不安」に陥れているものの正体が果たして何なのか?
それに立ち向かうには、“自身の不安に向き合い、調べ、考える”しかありません。

「私を安心させろ!」と一方的に主張するだけではなにも解決しないでしょう。

そういう人間は「あなたに『安心』をご提供します!」という商売の餌食になります。
No.1085) 利己・利他の具象化 エリー(Wed May 25 09:34:10 2005)
 私は理解をしめしましたよ。でも皆さんの意見からは被害者に対する配慮を感じることが出来なかった。だから書き込みをしたのです。現実なら間違いなく参加しない話題です。口するのは恥ずかしいことだからです。それでも違う立場に立つ人間として言わなければ分からないから書き込みをしました。
---
 知人を疑うかどうかは日ごろの行い次第です。社会的な問題ではなく、個人の問題です。だから柴犬さんに、あたなを疑ったりしませんが、二項分類したら同じ立場にいる人間としてどう思うかを訪ねたのです。
 人間として見た場合は人を疑いません。集団として見た場合に疑うのです。
---
 規制されるかどうかを問題にしているのは、当事者だけです。部外者を説得して動かしたいなら、部外者のとっての利益を説明する必要があると思います。
---
 「女子禁制のお寺に私はどうしても入りたい。今時女だから差別するなんて非常識だ。同じ人間として禁止する立場に立つ男であるあなたに、私の為に私の主張を認めて欲しい。そしてお寺に一緒に働きかけて欲しい」と言われてあなたならどうします?
 女子禁制の寺に入りたい話はたとえ話です。私が望んでいる訳ではありません。
 私なら、「あなたが寺に入りたいなら反対はしないけれど、あなたとお寺の問題であって私が口出しすることではないと思う。寺の人と話し合って欲しい」と答えます。
 このエロゲー問題では、私は「寺の人間」です。寺の人間として、寺の人間の主張をするのは当然です。禁制を解いて入りたいなら、「それなら仕方がない」と納得させる役割は「ルールを変えたい側」にあると思います。
---
 私は「私にとって重要だと思う問題」について、そうは思わない人間を説得します。相手が聞いてくれないのは当然です。相手にとってはなくても困らないのですから。
 あなたの主張は「他人が重要だと思う問題を重要だと考えてないのはおかしい」と言っているように聞こえます。
---
 繰り返しになりますが、私は柴犬さんにとって「重要な問題」とわかりましたよ。どうして嫌なのかも説明しましたよ。それを嫌でなくする方法を考えるのは、嫌なことを受け入れて欲しい側ではありませんか?
---
 この記事が見つかるかどうか分りませんが、利他・利己を具象化した問題だと思います。具体的な例として、批判を承知で皆が関心のある問題を取り扱ったことは意義があると思います。しゃべりにくくはあるけれど。
---
 エロゲー愛好者に限定した「理解する努力」はしていませんが、自分とは立場の違う人間の考え方を知る努力をしています。具体的には今回のように立場の違う人と話をしたり、本を読んだり、問題について考えてみることです。
 私は哲学・心理学・シナリオについて興味があるのですが、これらについてあなたはどんな「理解する努力」をなさっているのですか?
No.1147) 三ニ零(Thu May 26 02:35:37 2005)
>あなたの主張は「他人が重要だと思う問題を重要だと考えてないのはおかしい」と言っているように聞こえます。

そう解釈されたのであれば、私の記述が拙かったということだ。
申し訳ない。

ヒトは誰でも何かしらの「不安」を持っているだろうし、それに対する為に「思考」や「行動」を行う。
例えば「エロゲーに対する不安→規制したくなる」という思考もその一つだ。
しかし、「自身の不安が何に基づくものか?」「その対処方法には実効果があるか?」といった点を考えず、
行動に走ればかえって状況を悪化させるだけだろう。
つまり、
「不安に対する際の的外れな対処により状況を悪化させる」ことについての懸念、
「私の不安を解決してくれそうな何か」に安易に流れる傾向についての懸念、
「嫌う人が多ければ誤解されても仕方ない」とつい考えてしまうことへの懸念、
そういった切り口からの意見を出させて貰ったつもりだった。

「嫌なことを受け入れて欲しい側」という記述があるが、「嫌悪」は「嫌悪」のままでよいと思う。
結局必要なのは「嫌悪」と「排除」の理性的分離であり、それは様々な価値観が交錯する現代においては
身に付けた方が確実にトラブルを減らすことができる思考だと思う。

−−−−−−−
これは一つの説だが、「客観」という概念の背景には「自身に対する認識」つまり先ほどの話で言えば、
「『不安に思っている私』という認識」と、「状況に対する際の有効性」があるのではないかと思う。
つまり「客観」概念は、自身の不安に対処する際に有効なものであり、こうしたメリットがあるから
今日まで使われつづけているのではないだろうか。
遡って考えるなら、生物有機体のセルフモニタリング(つまり、ある対象が有機体にもたらす変化の様相を
「対象と有機体の関係性情報」として、有機体自身が入手運用すること)が生存に有利に働いたということから
始まるのかもしれない。
そう考えると哲学的題材としての「客観」概念は論理の操作から後づけで考え出されたものであるように感じる。
もし、「『客観』は自らに対して行った時に効果を発揮する技術の一つである」という説が貴方の「主観・客観」考察に
おいてなにかの参考になるならば幸いである。(役に立たなかったなら申し訳ない)
No.953) 江戸屋(Mon May 23 10:55:36 2005)
記事を読んで疑問に思ったのを一つだけ。
 
グロを見て嫌悪感を抱くのを例にあげていましたが、あれはグロ画像ですよね。
つまり「殺人」「死体」「グロ画像」は等価です。本物の死体の写真ですから。
 
しかしエロゲーの「エロゲのキャラ」「現実の女」は等価ではないのではないでしょうか。
「エロゲのキャラ」と等価なのは「ダッチワイフ」だと思います。
 
私は人を殴るのは現実でも想像でも嫌な気分にはなります。でも人形を殴ると爽快気分になります。
大抵のオタクはこういう感覚ではないでしょうか。
 
逆にリアルに事件を起こすオタクは「現実の女性」「エロゲのキャラ」を等価と見なす「異常な錯覚」をしていると思われます。
この「異常な錯覚」こそ責められるべきであって、まともな思考をしている大多数のオタクに問題はないように思えます。
 
この「異常な錯覚」をしていると平然と考える自称非オタも異常ではないでしょうか。
つまりは「オタクはダッチワイフ(エロゲキャラ)をリアル女性と混同している」という論調なのですから。
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