iwatam's serverのゲストブック 過去ログ

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No.221) 読者(Sun Dec 14 09:40:54 2003)
 感想
 結局あなたは、まあまあ、なあなあで議論を収めようと考えているようにかんじられます。
 議論がこれではまったく面白くありません。
No.222) 感想ありがとうございます iwatam(Sun Dec 14 16:02:07 2003)
感想をいただきありがとうございます。
 ところで、「議論がこれではまったく面白くない」というご意見ですが、その通りです。そして、議論自体が面白いものであってはいけないという主張でもあります。
 議論はあくまで手段であって、目的ではありません。目的は「理解すること」です。議論をすること自体に面白さを感じてしまうと、議論のための議論になってしまいます。それはここで言うところの「議論」ではなく「討論」です。
 議論と討論は別のものであるということをご理解いただけたらと思います。そして討論をしたいのであれば、ここで述べていることは無視していただいて結構です。
No.219) 活字離れ考 ばぐ[HOME](Thu Dec 11 20:41:40 2003)
はじめまして。ばぐと申します。

「コラム:活字離れ」を拝見いたしました。私も「活字離れ」という言葉について考えていたのですが、大変参考になりました。そこで勝手ながら引用して論評させていただきました。

私の思い違い等がございましたら、ご指摘いただければ幸いです。(これは手動トラックバックのようなもので無視していただいても削除していただいてもかまいません)

よろしくお願いいたします。

No.220) ばぐ(Fri Dec 12 21:07:35 2003)
基本的なところで大きな誤解をしていたことに気づきました。「活字離れ」とは読み手の問題、すなわち、受容側の態度の問題であるという視点が抜けていました。

つまり、「活字」とは「まとまった文書」という意味だというのは誤りで、「活字」とは「まとまった文書を読むこと」と考えたほうが、良いことに気づきました(ちょと解りにくいので、表現を変えて、「活字離れ」とは「まとまった文書を読まないこと」と定義します)。

政府の白書の例でいくと、同じ白書でも、「パラパラとページをめくって図を見るだけ」は「活字離れ」、「全体をきっちり読む」ことは「活字離れ」でないと考えたほうが適切です。

そこまで考えて、「一方的」か「双方向」かに拘っておられた理由がやっと判りました。双方向の場合は時間的に「まとまった文書を読む」ことは不可能で、「細切れの文章を読む」ことになる。つまり、「双方向」は必然的に「活字離れ」を引き起こすことになるということですね。

ありがとうございました。

No.216) コラム:国家は悪かについて トニー(Sun Dec 7 21:10:52 2003)
はじめまして、トニーと申します。いつも楽しく拝見させていただいております。
 
 さて、コラム「国家は悪か」について反論があります。あなたは個人の権利より公共の福祉が優先されるべきとし、その根拠を憲法の条文に求めていますが、これには反対です。そもそも憲法とは何のか理解してない人によく見られる主張です。憲法は国が個人の権利を侵害しないために定められているものなのです。憲法尊重擁護義務は公務員にだけあるのです(99条)。一般国民には憲法を尊重する必要など全くないのです。ここがポイントです。ですから、一般庶民が公共の福祉(とかいう訳のわからんもの)が個人の権利より優先するという考えには反対する、と主張することも自由なのです。もっとも、個人がなんと言おうが現実には国家が強制的に個人を押さえつけ、時にはペナルティーを課します。ただそれだけのことです。
 そもそも公共の福祉とは何なのか。これにハッキリ答えられる人は法学者でもいないと思います。これは国の利益と個人の利益が衝突した場合、個人の権利を押さえるために法令上用いられている用語で、具体的な内容はハッキリしません。とにかく、公共の福祉に反するんだからガタガタ言うな、ということです。
 ところで、日本の左翼人権派がおかしいのは、社会福祉を国民の権利として要求するくせに国家が嫌いなことである。国に対してもっとも頼っている人間が国を嫌うのはおかしな話である。福祉を優先し弱者を救おうとするならお金が要る。国はその分、増税をしなければならない。しかし、左翼は増税にも反対なのだ。何たる矛盾。個人の自由が絶対である。国家は個人に干渉するな、というのであれば、それこそ生活に必要なインフラも、何もかも自分で作って何とかします。自分は国家には頼りません。だから税金も払いません。外敵が侵略してきても自分は猟銃なり日本刀なりで自分の家を守ります。ならず者国家に家族が連れ去られたら自分で取り返しに行きます。だから国家は干渉しないでね。と、主張しなければならない。
No.217) その通りですね iwatam(Sun Dec 7 23:21:02 2003)
私もまったくもってその通りだと思います。「個人の権利より公共の福祉が優先されるべき」の主語は「国」で、「自分勝手な事をする」のは国民です。国は国民が自分勝手な事をするとそれを押さえつけて結局は自分勝手な事ができないようにします。そして、押さえつけられた人は「国は個人の自由や権利を守ってないじゃないか」と文句を言います。これが筋違いです。国は自分から「公共の福祉のほうを優先する」と言っているわけですから。
 要するに、国民は何をするのも自由だが、その結果どうなっても知らない、ということでしょうか。そしてその結果に対して「国がおかしい」と文句を言っても誰も聞いてはくれない、ということです。
 左翼人権派の話もその通りだと思います。ただ、こういう人は年々数は減ってきたのかなぁと思います。そういう人たちのための党ももはや風前の灯ですし。そろそろ逆の事も言わないといけない時期に来ているのかもしれません。

 ところで、貴重なご意見をいただきありがとうございます。確かにあのコラムを書いた時には上に述べた「主語の問題」をはっきりさせていませんでした。非常に参考になりました。

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