コラム:エロゲーオタクが嫌われる理由
>エロゲー嫌悪を偏見と勘違いするな
この副題には今回のコラムの特徴である
「『エロゲー嫌悪』は“正当”である」
という意図が端的に表れている。
そしてその理由について「『異常なことを空想すること』自体の否定」をもって語っているが……。
書評ページでは「家畜人ヤプー」に対して「創造力に感服します」と書いている管理人が、
「異常なことを空想すること」を悪として否定している時点で既に破綻している。
それとも、こうしたツッコミに対しては「異常の種類が違う」とでも反論するのだろうか?(笑)
結局今回のコラムからは、自分が許容できない種類の嫌悪を上手く処理しきれず、
コラムという形で吐き出している管理人の姿しか見えてこない。
(もちろん私も「嫌悪を上手く処理しきれずついコメントしてしまった者」の一人であることは言うまでも無いが)
>人は、自分がやってみたいと思わないことでも否定しないことをちゃんと覚えた。
というが、「自らの嫌悪感」について冷静になれるほど成長してはいない、ということだろう。
まったく皮肉なことだ。
こういう問題は単純に考えれば良いのではありませんか。
問題の本質はエロゲーを嫌悪することが正当かどうかなのではなく、事件を起こす原因が主にエロゲーにあって、エロゲーがなければ事件が起きないのかどうかであろう。
つまり事件があって、犯人の自宅には多数のエロゲーがあったりする。だからエロゲーが良くないのだという論調になる。
しかし本当にエロゲーがあるからそういう事件が起きたのだろうか。ゲームがなくてもそういう人は事件を起こすのではないか。
管理人も言っているようにむしろゲームがあった方が事件の発生は少なくなっていると考えた方が正しいのではないかと。
これについては私も同感だ。ゲームがあるから現実に事件を起こさなくてもゲームで満足する人も多いのではないか。
それがエロゲーに限らず、ゲームの存在理由なのではないか。現実にはできないがゲームの上でなら可能であるということだ。
ゲームをやった上で実際にもやってみようとすると事件になる。
例えばフライトシミュレーションゲームをやって本物の飛行機の操縦がしたくなってハイジャックをやるとする。この場合、フライトシミュレーションゲームが悪いのだろうか。
となるとエロゲーが悪いということはあり得ないのではないか。
エロゲーが悪いのではなく、事件を起こす奴が悪いというだけのことではないかと。
エロゲーに対しての嫌悪云々は今更始まったことではないし、オタクにとっては別に気にすることもないのではと。少なくともエロゲーがあるから事件が起きるというのでなければの話ではありますが。
皆さんはどう思いますか。
フライトシムにはまった挙句、どう本物の操縦席までだどり付くかの物理的、資格的な大変高いハードルを考慮しましょう。
それに、合法的に操縦の権利を手に入れる事も可能なのです(ていうか、それで当然)。
他方、エロゲーにはまった挙句、幼い女の子に手を出す事についてのハードルに物理的な物はないんですよ。
ハードルは当人の心の中にしかないのですが、そういうのは紙で出来た障子みたいな物だというのを大抵の人は理解しているものです。
>フライトシムにはまった挙句、どう本物の操縦席までだどり付くかの物理的、資格的な大変高いハードルを考慮しましょう。
しかし実際に資格云々ではなくて操縦したいがためにハイジャックして操縦士を殺してしまった事件が実際にあったでしょう。
合法的に操縦士になれればもちろんかまわないのですが、これは誰でもなれるわけではありませんからね。ほとんどはなれないのです。
ハイジャックするには飛行機内に凶器を持ち込めさえすれば可能だと思うので、物理的なハードルがそんなに高いとも思えませんよ。
それにあなたの話は何を主張したいのかが、そもそもはっきりしません。
エロゲーにはまった挙げ句に本当に子どもに手を出すのと、フライトシミュレータにはまった挙げ句にハイジャックするのと、物理的なハードルの違いが何か議論に影響するのでしょうか。エロゲーがいけなくてフライトシミュレータはいけなくないという意味でしょうか。
そもそも、フライトシムマニアの目的は操縦なんで、法で罰せられるリスクのあるルートを取る必然は全く無いけれど、ロリゲーマニアの目的は幼女との濃厚な接触だから、どんなルートを選んでも法で罰せられるリスクが回避できないでしょう。
ていうか、フライトシムで欲求が膨らんでもそれ自体に問題無いけど、エロゲーで欲求が膨らんでそれがソープなりイメクラなりですら解消できないとなるとこれはマズイですよ。
どうも何か勘違いしているようですね。
私は要はフライトシムにもエロげーにも何ら罪はないと言っているのですよ。
これらのゲームにはまった奴が本当に事件を起こしたとしても別にゲームが悪いのではないと言っているだけで、エロゲーとフライトシムのリスクがどうという話をしているわけではないのです。
フライトシムにはまって欲求がふくらんでもエロゲーをやって欲求がふくらんでも、実際に事件を起こさなければ何でもないことです。
そもそも"フライトシムで欲求が膨らんでもそれ自体に問題無いけど、エロゲーで欲求が膨らんでそれがソープなりイメクラなりですら解消できないとなるとこれはマズイですよ。"と言いますが、フライトシムがにはまったあげくにハイジャックをしないという保証がありますかね。
実際に操縦したさにハイジャックがあったではありませんか。その際のリスクはエロゲーでの比ではありませんよ。
下手すると数百人が一度に死ぬのですから。
またエロゲーにはまって欲求が高じても事件を実際に起こさなければ問題はないでしょう。起こすかどうかは本人の問題です。
それならどんな犯罪でもハードルをつくればいい、ハードルがなければ駄目ということになりますけど。
エロゲーをなくしても物理的にも資格的にもハードルはできませんから、そのような犯罪に対してエロゲーを規制するのは全く意味が無いということですね。
さらにいえばジャンボジェット機でレインボーブリッジを潜ったり、飛行機のゲームではありませんが、タクシーで街中を暴走したりするのは、資格をもっていても合法ではありませんから。
一般的に言って、防犯対策には何らかのハードルになる物を設けるもんですよ。
野菜の無人販売所なんかはそのへんが大変なのも当然と言えば当然。
エロゲーをやるのに資格もなにも無いでしょう。
厨房であろうとダウンロードのサイトを知ってればどうにかなるし。
飛行機の免許持ってたり2種免許持ってたりする人が分別が無いと仮定するのは突飛過ぎやしませんかね。
だからその中学生からエロゲーを買えなくしても、
もしその中学生が犯罪に走ったとき、その被害者との間に物理的障害ができるわけないですよね?
だからエロゲーを規制しても犯罪はへらないんです規制の意味が無いんです、わかりますね?。
「事件になるから叩いている」という認識が違っているのだと思います。
事件になったのでのぞいてみたら、ありゃ、これはすごいことになっているなぁ、とびっくりして叩いているのです。もし事件にはならなくても、何らかの意味で目立てばやっぱり叩かれたでしょう。
そういう意味で、事件を起こす起こさないに関わらず、悪いと見られます。
要するになんら事件との関連性がなかろうと
嫌悪感でたたかれるということでしょう?
ですからそういうのを偏見と言うのですよ。
そしてそれをTVが公共の電波に乗せて流しているわけですから、それは不当な偏向報道なわけです。
それを許すわけにはいきません、当たり前のことですね。
私はTV関係者ではないことをここに宣言しておきます。
ですから、私と偏向報道とは何の関係もありません。そもそもTVはあまり見ないし。
コラム:なぜエロゲーオタクは嫌われるか
>バッシングに対して怒っている多くの人は、「エロゲーをやることによって犯罪行為に走るから」
>非難されているのだと思っている。
まずこの前提が間違い。実際は、
A・エロゲーは、実害ではなく、嫌悪によって叩かれている
B・その際に「エロゲー犯罪原因説」が道具として用いられる
という状況があり、今回のバッシングに不快感を覚える多くの人はこの“欺瞞”に対して
ムカついている。
つまり、「実害がなくても嫌いなものなら叩いても良い」という論理がまかり通ることへの
不快感が今回の事件報道について非難する動きの要因である。
今回のコラムではAの考察から「嫌悪は“正当”なのだから自覚しろ」という内容の主張へと
繋げることで「バッシング批判」を批判しているが、これこそ問題点のすり替えでしかない。
5つのセクションで構成される今回のコラムにおいてセクション2以降はこの勘違いによって
内容が書き進められており、最終的に「人々が悪だと思っているものは悪だ」という結論へと至る。
これでは「論理が稚拙だ」とツッコまれるだろう。
もっともツッコまれたくて書いたのであれば非常に見事な文章だといえるが。
エロゲが悪とコラムで断言するが、エロゲ自体をやったことがあるのか? エロゲというものをどれぐらい経験しているのか? エロゲーオタクといわれる人を何人見てきてどれぐらいつきあってきたのか? がコラムから見えてこない。
つまりディテールが無い。
ディテールが無いので単語(エロゲ・オタク等)の意味がフォーマット化されていて深みが感じられない。
つまり個性がない。
個性がないので誰かの既存の意見をまとめ、編集で個性をだそうとするので、意図が明確に伝わってこない。
つまり(一貫した)主張がない。
「神はディテールに宿る」って言葉があるけどその対極をいく悪文としては無駄に長く見事だと言える。
物を書くときに見るやつが見れば一発でバレるようなものを書かないように自分を戒めるための教材としては意義があるコラムだと思う。
ただ、「なぜエロゲーオタクは嫌われるか」というみんなが避けている問題を哲学的に考察しようとした心意気は買える。自分なら知識不足もあるが、それ以上に面倒な議論は避けたいと思うからだ。議論を避けないというiwatamさんの姿勢は一貫している。哲学を好んでいるようで確かにソクラテスっぽいところもありますが、今回のコラムから「疑う」ことへの深さはおろか安易な前提と乱暴な考察だけで終わっている節を感じる。哲学でもディテールは大事な要素ですよ。そこが欠けている哲学はただのオナニーでしかありません。
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