iwatam's serverのゲストブック 過去ログ

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編集や削除のご要望がありましたら個別にやります。遠慮なくおっしゃって下さい。


No.1477) しらさき(Tue May 31 04:51:13 2005)
根本的なところにおける理解を促したいという理由からまたひとつ意見を。
もう長文はうんざりだという人は読まなくて良いし、おかしなことを言っていると決めてかかって読んでもらってもかまわない。断定的な口調で話を進めるが、あくまでもこれは「私の」考えである。これが一般的に言えることかどうかというのは読んだ人が自分で決めたように解釈すればよい。
−−−
まずは今までに出てきた典型的な疑問に対する回答を示す。
Q.あんな書き方をされたら普通怒ったって当然でしょう?
A.それを言ってしまうと前提が決定論の方へ傾き、自由意志を否定する方向に進むので言ってはならない。質問の意味を受け入れることは、読み手の行動が文章に支配されることを意味する。これは意思の否定に繋がり、私はロボットですと宣言することになる。決定論を受け入れるならどのようなことに対しても責任の追及は許されない。また、あらゆる行動は潜在的に無意味となる。ここで私たちが議論することも無意味となってしまうから、議論を続けるつもりなら少なくとも主観的なレベルにおいては自由意志を認めなければならない。つまり自分の行動の責任は自分でとらなければならない。あなたが気分を害する文章を読んだときにどう行動するかは自分で決めたと言わなければならない。それを言わずに文章のいいなりになることを選択するのは究極の自己否定であり、絶対にやってはならない。
−−−
Q.多くの人の目に触れる場所に公開するなら、もっと文章の書き方を気をつけるべきでは?
A.そもそもエロゲーオタクはなぜ嫌われるかというコラムが多くの人の目に留まったのはなぜか。私は他のブログなどの紹介がきっかけで読むことになった人が少なくないと予想する。もしブロガーがこのコラムを悪く評価するなら、そもそも紹介するべきではないはずだ。ブロガーたちが紹介したから多くの人の目に触れたのであり、その責任は彼らの方にも向けられるべきである。現在の状況はiwatam氏に対して一方的過ぎると感じる。そもそもこういった文書は必要とする人が読むから価値があるのであり、そうでない人が読むべきではない。そういう意味で、ほとんどの人は「来る場所を間違えた」のであり、なぜそんなことになったのかというと「ブロガーにしてやられた」が答えだ。してやられたという表現はアクが強すぎるきらいがあるが、それくらい言ってしまってもいいと私は思う。もちろん、自分の知らないことを考えるいいきっかけになったと前向きに考えるのであれば何も問題はない。
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Q.そもそも文章のレベルが低いと感じる。言葉が足りなかったり、根拠が明確でない。
A.本当にそう思うのか。まず前提として、あなたがこのコラムを自身の学習といった目的に使うつもりがないならすぐに立ち去るべきだ。次にこのコラムの読解難度について考えよう。このコラムは読みやすい。が、理解するのは難しい。そういった意味で意地悪な文章だといえる。このコラムを理解するには人間心理に関するまとまった知識が必要不可欠だ。さらに人から与えられることの喜び、与えることの喜び、人を傷つけた時の自分の心の痛み、人に傷つけられたときの心の痛み、といった感覚、心の働きを実体験に即して理解していることが重要だ。このコラムはあなたの知識や考え方、及びにあなたという人間自身を試しているのである。このコラムはいわば試験問題であり、どのような回答がなされるかによってその人のレベルや考えがわかる。不足されている要素を補ってうまい解釈を見出すことができるかが求められているのである。もう一度言うが、学習する意思がないならすぐに立ち去るべきだ。学習する意思がある人にとってはこのコラムはいい文章だ。理解の難しい問題を提供し、自分に何かが足りないと教えてくれるからだ。質問に答える。文章のレベルが低いと感じるなら、あなたはこのコラムから学べることはもうないはずだ。次の段階へ進めばよい。次に、言葉が足りなかったり、根拠が明確でないのは、あなたが思っているのとは違う意味で良いことである、ということだ。補足するが、これはあくまで「私の」考えである。iwatam氏本人はどんな理由であれ、自分のコラムを読んでくれたことを、そしてどんな内容であれゲストブックに書き込んでくれたことをうれしく思っているかもしれない。また、iwatam氏と私とではコラムの意義に対する見解はまったく異なる可能性がある。私は決してiwatam氏の代弁者ではない。
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次は私が質問を用意する。私自身の回答も用意してあるが、自分で答えを出せるようになって欲しい。
Q.自分の感覚は本当に真実を伝えてくれているのか?
A.盲目の人と、健常者。精神病者と正常な人。絶対音感を持つ人と、そうでない人。落ち込んでいる時と、いい気分の時。病気にかかっている時と健康な時。そういった時と場合の違いによって、同じ物や、同じ事象、同じ作用をどう感じ取るかは変化する。真実を伝えてくれることを期待するには、人間の感覚は不完全すぎる。さらには自身の感覚を通して見た現実がどれだけ真実に近いかを知る確実な方法はその性質上、ない。しかし、あらゆる学問が真実をうまく記述しているという事実はすなわち、現実と真摯に向き合い、自身の感覚を疑いに疑いぬいて洗練させれば真実により近いところに到達できるということだ。あらゆる学問は人間の感覚を基礎に置いている。人間の感覚は正しく鍛えれば信頼に足る道具になり得るのである。要はあらゆることを学習せよ、ということだ。自分が「それ」を知っているということは非常に重要だ。自分が「それ」を知らないということにさえ気づいていない、という領域にある真実は、それが存在しているのに無いようにしか見えないという恐ろしい事態を招く。
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やっと本題に入れる。以上をふまえてエロゲーをプレイするというのはどういうことか。エロゲーに限らずではあるが、これすなわち、自身の感覚をわざと歪めることによってひしゃげた真実を現実として楽しむ、ということだ。こういった行為はもう日常にありふれている。だからそれを悪と決めるのはどうかという意見もあるだろうが、こういった行為が「人間」が幸福に生きるのに絶対必要なものなのか。例を挙げるなら、現在も存在する原始的少数民族がこういった行為を必要とするか?答えはおそらくNOだ。その立場で考えるなら真実を歪めて受け取ることの危険性という理由でもってこれを良くないこととするのは正当だといえるはずだ。しかしながらこのことを考慮するとしても、こういった行為とともに自身の感覚が歪むことを許容できるなら、私たちの文化においてはそれが許されるべきであろう。ただ、一つ言えることはコミュニケーションには感覚の共有という側面があり、感覚を歪めることになればコミュニケーション能力は低下(というより対象が減るといった方が良いかもしれない)することになると思われる。さらにエロゲーが特別に問題とされるのはこれが性的嗜好品であるが故に意思に反して進んでそういった行為をさせる「魔力」があるからだ。人間の意思が性欲の前ではあまりにも無力であるという経験はほとんどの人にあるだろう。だからエロゲーをプレイすることに対する抑止効果が必要と考える。これがエロゲーを悪としておくべきであることの一つの答えである。実際の例で言えば、性的欲求に負けて陵辱系エロゲーで性処理をし終えたあとに、一昔前の人が自慰行為をしてしまったときに感じたような「あ〜あ、やっちゃったよ・・・」という感覚くらいは持っていて欲しいということだ。誰だってエロゲーで人生を棒に振るのは御免だろう。このちょっとしたことでエロゲーを安全に楽しめるのなら安いはずだ。次に、iwatam氏が嫌悪の対象としているのは、こういった行為を「自ら進んで」やるような人のことだと思われる。こういった人はたいてい自分の感覚が歪んでいることの、ひいては歪みが進行していっていることへの自覚が無い。感覚の歪みが良くないことだという「感覚」を信じてくれるなら、それに対する自浄作用が絶対に必要だということを理解してもらえるだろう。それを促すことができるからというのがエロゲーを悪としておくべきもう一つの理由である。
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以上。本当に長くなりました。読んでくれた人へ、お疲れ様でした。
補足ですが、ここでは謂れの無いバッシングをどう受け止め、どう対処するか等の複合する別の問題については考慮していません。あくまでも各個人が自分自身とどう向き合うべきかという点についてのみ書いています。
No.1489) ありがとうございます iwatam(Wed Jun 1 00:52:37 2005)
この意見に関しては、私からはもう何も言うことはありません。
No.1494) (no name)(Wed Jun 1 02:19:26 2005)
このしらさきさんの意見に対してきちんと反論してくださらなかったのが、残念で仕方ありません…。
結局、正しいかどうかではなく、自分に賛成か反対かがiwatamさんの判断基準だったんですね…。
これからこのサイトを訪れることはないと思いますが、今回の論争は色々なことを考えるきっかけになりました。
今までありがとうございました。
No.1497) (no name)(Wed Jun 1 03:17:06 2005)
あなたはiwatam氏が自分の意見への賛成論に対して反論しなかったことを残念に思うのか。それ本気?
そんな精神を持ってると、どこに行っても残念で仕方なくなるよ。

って、もう来ないのね……。

No.1505) そうだったんですか? 臥猫(Wed Jun 1 13:26:53 2005)
てっきりiwatamさんは、エロゲーによって人間の「感覚」が歪む危険性よりも、
エロゲーを面白いと思い、望んでしまうエロゲーオタクの「感覚」を「歪んでいる」と批判しているのだと思っていたのですが。

ところで、しらさきさんの言われる「感覚の歪み」は、

・「相手を殺したい」などの非倫理的な欲望を抱いてしまうこと
・非倫理的な虚構を現実のように楽しむことで、現実に対する感覚そのものが歪むこと

この二つを含んでいると思います。
しかしこの二つは混同しないようにしてください。

例えば僕は、エロゲーが後者の危険性を含んでいることは認めます。
エロゲーが表現しているのは主に「悪」であり、それが非倫理的な芸術性であることは充分な自覚が必要であると考えます。
ですから、自我の未発達な人間の感覚が歪まないように、年齢的な規制などの対処が必要でしょう。

しかし「非倫理的な欲望を抱いてしまうこと」を、僕は「感覚の歪み」だとは思いません。
そういった欲望は程度の差はあれ誰もが持つものであり、そういった欲望を否定することは、それこそ「感覚の歪み」だと思います。
No.1510) iwatam(Wed Jun 1 20:01:38 2005)
まず、「非倫理的な欲望」とは何でしょうか。
私は、例えば「誰でもいいから一度人を殺してみたい」は非倫理的だが、「あいつムカつく。殺してやりたい」は非倫理的ではないと考えます。その上で、私は、前者のような非倫理的な欲望は「感覚の歪み」だと思います。
それとは別に、「こうした欲望を否定する」とはどういうことなのか、考えてみてください。当然のことながら、これは「こうした欲望は存在しないとする」ということではありません。こうした欲望自体は現に存在するわけですから。
No.1515) そんな事を言っちゃって良いんですか? 臥猫(Thu Jun 2 00:25:07 2005)
> まず、「非倫理的な欲望」とは何でしょうか。

まぁ、定義するなら「現実で実行した場合、社会の倫理・道徳に反する欲望」でしょうね。


> 「誰でもいいから一度人を殺してみたい」は非倫理的だが、「あいつムカつく。殺してやりたい」は非倫理的ではないと考えます

えーと、後者のみを非倫理的ではないとした理由が本気で理解できないのですが。
倫理・道徳は、確かに簡単に定義できるものではありませんが、それにしてもこの判断は…。
ひょっとしてiwatamさんは、ご自身で理解できる欲望を倫理的、理解できない欲望を非倫理的だと思ってやいませんか?
倫理・道徳というのは、少なくとも貴方のフィーリングだけで決めて良いものではないのですが。

とりあえず、「あいつムカつく。殺してやりたい」を非倫理的ではないと判断したポイントを知りたいのですが、
次の中で、iwatamさんが非倫理的だと判断するものはどれですか?

「あいつムカつく。犯してやりたい」
「あいつムカつく。妄想の中で犯してやった」
「あいつを愛してる。だから殺してやりたい」
「病気で苦しんでるあの人を、殺して楽にしてあげた」
No.1517) 理解できないですか? iwatam(Thu Jun 2 02:46:04 2005)
「あいつムカつく。殺してやりたい」が本当に非倫理的なら、忠臣蔵はここまで人気は出ないし吉良上野介もここまで悪役にはされないと思いますよ。
理由のある殺人は、その理由によっては正当化されます。そして、理由というのは程度問題であり比較問題ですから、簡単に「非倫理的」と決め付けてしまうことはできません。
4つの例の中では、1つだけ、理由と行動がつながっているものがあります。それだけは非倫理的ではないと私は考えます。
No.1533) 一つ質問させてください 鳥人(Thu Jun 2 23:33:20 2005)
コラム:ゲームとリアリティ
でFull Spectrum Warrior というゲームの事が書いてありました。このゲームをプレイしてiwatamさんは、
「面白い」と思ったんですよね。

戦争とはいえ、人を殺しまくって「面白い」と感じることは、果たして倫理的にどうなんでしょうか?
No.1534) iwatam(Fri Jun 3 01:15:12 2005)
「人を殺しまくったことを」面白いと言っているのではないことは、あのコラムを読んでいればわかると思います。
それから、すぐ上で「人を殺すことすべてが非倫理的ではない」とも言っています。
この2つのことから、答えは明らかだと思うのですが、いかがでしょうか?
No.1537) 臥猫(Fri Jun 3 06:15:39 2005)
少々意地悪な質問でしたが、iwatamさんが非倫理的でないと判断したのは
「病気で苦しんでるあの人を、殺して楽にしてあげた」で宜しいんですかね。

まぁ、承知の上で答えてくださったのだろうとは思いますが、その答えは現実の社会において、
ほとんどの場合、iwatamさんの主張とは全く逆に非倫理的、つまり「悪」と判断されます。
ここで指摘しておきたいのは、社会の倫理と個人の倫理の間には、埋めようのない溝があるということです。
人間が社会の倫理に適応しているという事は、自らの「感覚」が正常であることの証明にはなりません。
むしろ社会の倫理に適応する為に、誰もが自らの「感覚」を歪めて生きていると考えた方が自然です。


で、忠臣蔵ですが。

忠臣蔵における「殺し」が倫理的に「見える」のは、吉良を殺すことに正当性を持たせることで、
「殺し」の持つ非倫理性を徹底的にスポイルしているからなんですが。
現実において、倫理的な「理由」が非倫理的な「殺し」を帳消しにするわけではありません。
もっとも法的には帳消しになるケースもあるでしょうが、法を守ってれば何をやっても良いわけじゃないんですよね?
っていうかiwatamさんは、虚構の中で行われる「悪」に無自覚になることを批判してたんじゃなかったでしたっけ?

「普通の人間は、たとえ相手が悪人だろうと、相手を殺すことで目的を達成しようなんて出来るはずがない。
忠臣蔵を楽しいと思ってしまう人間は、現実においても、ムカつく相手なら平気で殺せる感覚の歪んだ人間である」

とかいって、忠臣蔵を楽しんでる老若男女を批判しなくて良いんですか?
さらに付け加えるなら、時代劇において殺陣の爽快感が魅力の一つであることは明らかだと思いますがね。
50人斬り、100人斬りといった言葉が謳い文句になり、人を斬るシーンに派手な効果音や血飛沫が加えられる。
それらが「人を殺す面白さ」を演出しているのは、貴方がいくら否定しようと事実なんですが。

ちなみに、それらの批判に対して僕は忠臣蔵をこう擁護します。

「虚構の中の吉良上野介は、ヒトであって人じゃない。
視聴者は『善でありたい』という欲望を、忠臣蔵という物語によって解消しているだけであり、
その際、殺すことの非倫理性や、殺す相手への共感能力は一時的に脇に追いやられているに過ぎない。
だから虚構に対して現実の倫理・道徳を突き付けて、『虚構とはいえ殺しを肯定するとは何事だ!』
などと非難するのは馬鹿のやることである」

そして何度も言ってる事ですが、僕は「悪でありたい」という欲望を満たす為の不健全な芸術性にも意義があると思います。
No.1544) iwatam(Fri Jun 3 19:09:27 2005)
あなたが「現実の社会において非倫理的とされると思っていること」が、実際に社会で非倫理的とされることと食い違っているのですよ。
普通の人は、社会の倫理と個人の倫理は一致していて、わざわざ感覚を歪めなくても普通に生きていけるのです。あなたが歪んでいるからそう思うだけでしょう。
そして、普通の人は現実と空想をまったく別のものだとは思っていません。
私が批判していないことを擁護するのは勝手ですが、一人相撲だということだけは認識してください。
No.1555) 臥猫(Sat Jun 4 00:41:29 2005)
>私が批判していないことを擁護するのは勝手ですが、一人相撲だということだけは認識してください。

これは公開された掲示板での議論です。
僕は貴方と相撲を取ってるのではなくて、貴方の意見と相撲を取ってるのです。
だから貴方に伝わらなくても、貴方と同じ意見の人に伝われば良い。

社会の倫理というのは、そうやって少しずつ変化していくのです。

No.1576) ずれてますね iwatam(Sun Jun 5 10:46:06 2005)
今回の話は、私が言ってもいないことを勝手に「私が言っている」と勘違いしているから一人相撲だと言っているんです。
公開されているかどうかは関係ありません。
No.1618) 臥猫(Mon Jun 6 02:43:45 2005)
貴方の理屈だと、忠臣蔵も批判の対象ですよ?

……という皮肉だったんですが、伝わらない人には伝わらないようです。
まぁ、こちらで合わせますよ。

No.1547) 鳥人(Fri Jun 3 19:31:32 2005)
「面白い」と感じたのは事実なんでしょう?そう思えるのは
ゲームの中で自分が色々操作する中で、敵兵士が死んでも罪悪感が沸かないからじゃないんですか?
人を殺しまくったことが「面白い」のではないのかもしれません。しかし、ゲームの中で人を殺すことには
何の抵抗もないのではありませんか?

>すぐ上で「人を殺すことすべてが非倫理的ではない」とも言っています。
これは戦場ではどれだけ人を殺しても、倫理的に問題は無い、ということでしょうか?
No.1548) iwatam(Fri Jun 3 21:00:59 2005)
その通りです。戦場では人を殺しても英雄です。
No.1554) 鳥人(Sat Jun 4 00:29:30 2005)
それは殺人を無理やり正当化しているだけでしょう。そう思い込まないと、とても平静を保てないほど
戦争というのは非倫理的で残酷なことだと思います。
No.1577) いいえ、違います iwatam(Sun Jun 5 10:56:13 2005)
あなたがそう思い込んでいるということはわかりましたから、その主張はもう結構です。
あなたが何を言おうと、現実に正当なものであり、あなたの思い込みの方がずれているということに変わりはありません。
No.1583) くある(Sun Jun 5 13:39:28 2005)
「あいつムカつく。殺してやりたい」って、社会で非倫理的とされることなんでしょうか?
うーん、私の知る限り、「ムカつく」とかいう感情レベルだけの理由で殺人を犯した人に関して、殺人が正当化されて無罪放免になったような事例は知らないのですがー。
大なり小なりちゃんと刑罰くらっているようなんですがー。
------
私なんかは判例は社会の倫理の一基準と出来るのではないかと思っているのですがー。
(盲目的に信じるわけではありませんけども)
------
こうなると、Iwatamさんが「現実の社会において非倫理的とされると思っていること」が、
実際に社会で非倫理的とされることと食い違っているような気がします。
Iwatamさんが歪んでいるからなのかしら?
------
もちろん、「裁判所が絶対に社会の倫理の決定機関だ」なんていうつもりもありませんので、なにか代わりにそのようなものがあるかどうか、お聞きしたいですー。
No.1593) iwatam(Sun Jun 5 15:15:22 2005)
私の言う「非倫理的」とは、裁判所で罪になるかどうかという話ではありません。倫理というのはルールではなく、ルールの根底にあるものです。
「ムカつく」というのは単なる感情レベルのことではありません。必ず「ムカつく」理由があるはずです。問題があるとしたら、その理由が問題か、あるいは理由もないのに勝手に人に「ムカつく」ことです。
現在の日本では、殺人以外の方法でいくらでも問題解決の方法があるため、殺人は正当化されません。しかし、現在の社会体制になければ、殺人が正当化されることもあるでしょう。
「今の日本で殺人は許されるか」という答えはNoですが、「どんな社会でも殺人は許されないか」という質問の答えも、Noでしょう。
「どんな社会でも許されないことはあるか」という質問を考えてみてください。それに私はYesと答えますし、それこそが倫理であると思っています。
No.1601) (no name)(Sun Jun 5 18:32:04 2005)
あなたが個人的にそう思っていることは否定しない。
問題はあなたがその個人的価値観を普遍的なものと思い込み、それに異を唱える者を見下すことだ。
No.1607) iwatam(Sun Jun 5 23:01:37 2005)
問題は、勝手に「見下されている」と思うことです。
No.1623) (no name)(Mon Jun 6 16:35:02 2005)
わかってないね。
あなた自身は見下しているつもりはないのかもしれない。
しかしあなたの発言は「見下している」と取られても仕方のない、というか普通は「見下している」と解釈される表現をしているって事。
極端なたとえだが、自分は真剣に謝っているつもりでもニヤニヤ笑いながら「わりーわりー」じゃ、相手は「馬鹿にされている」と感じるだろう。
それを指摘されて「こちらは真剣に謝っているんだ。馬鹿にされたと感じるほうが間違っている」は通らないんだよ。
No.1602) 鳥人(Sun Jun 5 19:41:36 2005)
戦争で人が人を殺すことは確かに仕方のない事でしょう。しかしだからと言って、倫理的に正しい事だとは
言えません。
「戦争では人を殺しても英雄だ」と本気で、心の底から思える人ははっきり言って異常です。
前のレスでも書きましたが、そう思い込まないと平静を保てないだけです。

あなたの思っている「現実」というのは、戦場に行ったことすらないミリタリーオタクの妄想の中の
「現実」です。
No.1603) おや iwatam(Sun Jun 5 20:05:10 2005)
「仕方がない」ということは、倫理的に正しいということだと思いますが。
倫理的に正しくないとは、いかなる場合であっても否定されるべきということです。
No.1604) 鳥人(Sun Jun 5 20:43:16 2005)
倫理的に正しくないことだと分かっていても、やらねばならない事もあります。
「仕方がない」と思ったことを全部「倫理的に正しい」ことにしてしまったら、
世の中のあらゆる物事が「倫理的に正しく」なってしまいます。
No.1617) 臥猫(Mon Jun 6 02:38:07 2005)
有名な「カルネアデスの板」ってやつですな。
ですが論点がずれてます。



エロゲーマーは、エロゲーの女の子に対して、
「傷つけたら可哀相だ」などの倫理的・道徳的な感情を持たない。
だから現実の女の子に対しても、そういった感情を持たない。(はずだ)
なぜなら、人間の虚構への態度は現実と変わらないからだ。

↑ iwatam氏の主張

↓ 反論

多くの人間は、ゲームの戦争において敵兵を躊躇わずに殺せるだろう。
だがそういう人間の全てが、現実の戦争において敵兵を平気で殺せるわけではない。
なぜなら、虚構は「想像」であり、現実は「体験」だからだ。


虚構の人間の命が、現実の人間と同じ重さを持ってるわけないでしょうが。
No.1627) キット(Mon Jun 6 20:05:47 2005)
>多くの人間は、ゲームの戦争において敵兵を躊躇わずに殺せるだろう。
>だがそういう人間の全てが、現実の戦争において敵兵を平気で殺せるわけではない。
>なぜなら、虚構は「想像」であり、現実は「体験」だからだ。

>虚構の人間の命が、現実の人間と同じ重さを持ってるわけないでしょうが。

この文の中の「ゲーム」がシミュレーションウォーゲームを、「人間」がそのゲームのプレイヤーを指しているのなら、誤りです。

ゲームの規模により肩書きは隊長から将軍までとさまざまですが、プレイヤーの立場は、いわば戦争遂行組織の中間管理職です。その立場で自分の陣営にもっとも有利なことは何かを考え、プレイするのです。

ウォーゲームは現実の戦争の再現や、起きたかもしれない可能性を追求するためのシステムです。現実の戦争がそうであるなら、殺傷より捕虜の方が高得点を獲得できるようにシステム化されます。

現実の軍が敵兵をどのように扱うかを間違えているゲームシステムや、上層部の意向を無視したプレイヤーでは、もはやシミュレーションとは言えず、妄想となってしまいます。

No.1634) 臥猫(Tue Jun 7 02:11:42 2005)
別にシミュレーションじゃなくても、アクションゲームでもガンシューティングでも何でも良いんですけど。
っていうか、虚構の中で人を殺すのと同じ軽さで、現実で人を殺せますか? という話なんですけど。
No.1636) キット(Tue Jun 7 12:54:07 2005)
レス元(No.1533)がコラム「ゲームとリアリティ」を受けていたので、そう思いました。失礼いたしました。

現実で「小学生の女の子に性的なイタズラをしている所を見かけたら」、そして、犯人を無力化する手段が他に無ければ、躊躇せずに犯人を殺すことを考え、実行します。

虚構で、人間狩りや虐殺が主題のゲームが目の前にあったら、そもそもそのゲームをプレイしようとは思いません。

No.1587) (no name)(Sun Jun 5 14:23:20 2005)
戦場での殺人が倫理的に問題ないのなら、ハーグ陸戦協定なんてのは無意味になってしまうのだが。
No.1595) iwatam(Sun Jun 5 15:38:08 2005)
倫理面以外で問題がいろいろあるから、意味があるのでしょう。
No.1476) iwatamの主張を全肯定すると (no name)(Tue May 31 02:55:50 2005)
こうなってしまうのですが。

 オタクはコミュニケーション能力の無い人間→iwatam氏の言う一般人にこのゲストブックを見せてもiwatam氏には能力が無いように見える、変わった人だと。

変わってる人間はオタクと主張してる→じゃぁ2つ共要件満たしてるからiwatam氏もオタクじゃん。

オタクはエロゲーマー→じゃぁiwatam氏もエロゲーマーだね。

どう考えても支離滅裂なんですが…。

ちなみに一般人の定義はエロゲをしない、陵辱等に嫌悪を持っている人でした。

No.1470) 自分の快楽のために少女を犠牲にするのは妥当 サトー(Mon May 30 23:43:29 2005)
「コラム:なぜエロゲーオタクは嫌われるか」では、「人をモノとしてしか見られないこと」が(心の)問題だとしています。
しかし、自分の快楽のために他人(例えば少女)を犠牲にすることは、まさしく利己的ですから妥当なはずです。
(※「コラム:利己主義のすすめ」で、iwatamさんは利己的であることを勧めています。)
 
これではiwatamさんは、利己主義を否定するか、「エロゲーは悪」論の根拠を否定するかのどちらかになります。
No.1474) 臥猫(Tue May 31 01:13:15 2005)
あんまりiwatamさんの弁護などしたくはないのですが、それは「コラム:利己主義のすすめ」を曲解しすぎでしょう。

というか、エロゲーオタクが利己主義で少女を犠牲にできるかのような言い方をされると困ります。
No.1487) 刑罰は、快楽を得るための“料金”。 サトー(Wed Jun 1 00:14:38 2005)
曲解?自分の快楽を満たす道具として、他者を犠牲にするのは利己的なことでしょう。(少なくとも利他的とは考えづらいです。)iwatamさんが利己主義を勧めるなら、当然このような考え方も勧めることになるはずです。
 
もちろん実行すれば刑罰などの応報を受けることになりますが、「コラム:利己主義のすすめ」でiwatamさんは『自己への危険性が許容範囲内ならOK』という感じのことを言ってます。ですから、少女を犠牲にすることに対する応報は、快楽を得るための料金のようなものと見なせます。受ける応報(懲役など)が「高すぎる、割に合わない」と思うならやめればいいし、「それくらいなら払ってもいい」と思うなら実行すればいい、となります。
 
iwatamさんの考えに沿えば、「エロゲーオタクは利己主義者である」というのは非難ではありません。
世間一般の“良識ある”人達にとっては違うかもしれませんが。
 
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