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No.775) 絶対戦争をしてはいけないかを読んで のぞみ(Tue May 17 10:34:20 2005) |
アメリカ側には何もイラク国民をフセイン大統領の独裁から救うなどという気持ちなどあるはずもなく、その後の捕虜虐待やらテロやらでどう考えても戦争前より良くなったとは考えられません。
アメリカ側も全く当てが外れたことはわかっているでしょうが、今更引っ込みがつきません。
過去の戦争の歴史を紐解いてみても、大義名分をかざして戦争を始めるのが通り相場です。
となると少なくとも他国に攻め入る戦争はほとんどの場合は、欲に目がくらんで始める戦争であり、こういうのは巨大な暴力であり犯罪行為でもあり、悪と考えざるを得ません。
反戦運動の是非はともかくとして戦争自体にはほとんどの場合、正義はないと考えるのが妥当と考えますが、いかがですか。
正義をもって始めた戦争というのがそもそもあるでしょうか。正義のように見せても実際には裏があるというのが相場ではないですかね。
もっともあくまで戦争と内戦は別問題です。
例えば、アフガニスタンでは長年の間、タリバン勢力と北部同盟が割拠してきましたが、アメリカの介入でタリバン政権が打倒されて、一応内戦は終わりました。
こういうのはなかなか評価が難しいところですがアメリカの介入が悪と決めつけることはできません。イラク戦争とはすこし様相が違います。
別にタリバンが悪で北部同盟が善だとは言えませんが、少なくともタリバンは言ってみればイスラム原理主義勢力で(ものを考えない私の一番きらいなタイプです)ですからそれが打倒されたということは国民は束縛から解放されたという面があることは事実でしょう。北部同盟というのも決して一枚岩のものではないので、後で分裂してむやみな勢力争いを始めなければ良いなと思います。
もちろん内戦がすべて正義とは限りません。
国内の諸勢力が争い続けるとたいていは隣国からの介入があったりします。
レバノンとシリアの関係がそうでした。
しかしレバノンの内戦は何とか終結したもののシリア軍が未だに駐屯し続けています。
あるいは国境紛争が絶えないインド・パキスタンというのもありますが、これなどもばかげた紛争を続けているとは思いませんか。
まあ、何事にもよく考えて分析してみることが必要です。何事にも絶対はないというのは同感ですが。
倫理的な側面はとりあえずおいて、経済的な側面から考えると戦争を始めるということはとてもリスクが大きい行為で、しかも儲かるのはだいたいは産軍複合体だけという事実があり、戦場となる国の国民はもちろんのことそこに出兵する兵士たちも何ら利益はないのが現実でしょう。
下手をすると命を落とします。
特にイラクの場合は、海外から武装勢力が入り込んできて荒らしているのでなおさら犠牲を大きくしています。
私の考えではこういう事が理解できて予測できる人が反戦運動をするのではないでしょうか。何も考えない人は反戦運動なんかしないでしょう。
私は考える人が大好きですから。
まあ、反戦運動を批判する前に戦争についてもう少し掘り下げて考えてみるべきではないでしょうか。
No.776) 批判のしかたの問題 iwatam(Tue May 17 12:49:18 2005) |
No.777) 私が言いたいのは・・・ のぞみ(Tue May 17 16:44:05 2005) |
私は別に論理の組み立て方に対して疑問を投げかけたつもりはないのです。
むしろ戦争に対する認識自体がどうなのかを言っただけのことですから。
戦争というのは確かにたいへん難しい問題を含んでいますが、戦争賛成か反対かを天秤にかけるような考え方は、大変危険だということをまず言いたいわけです。
だいたい戦争に賛成すると言っても自分が戦場に出るわけではなくて、メリットがあるから賛成だというのでは、それは兵士を死地に駆り立てることに少なくとも荷担する事を意味するのだという自覚が必要なのではないでしょうか。
あるいは自国は当事者ではなくて他国同士の戦争に対して賛成だという議論もそもそもどうかと思います。
賛成だというのは、要するに殺し合いをしなさいよと言うことですから。
これは論理の組み立ての問題ではないでしょう。
それと私の話では戦争賛成につながる論理はないと言うことでしたが、そもそも賛成するような要素がないのです。
つまり戦争は破壊と殺戮を目的としていることがもっとも大きいでしょう。
しかし戦争で得られるメリットというものがないのかというと、一応はあります。
よくあるのが相手国の民衆を解放するという大義名分なのですが、このフレーズはだいたいはあくまで大義名分なのです。
今回のイラク戦争でもそれは明白でしょう。
だいたいイラクは平和な国であったのにアメリカがイランイラク戦争で武器を双方に供与して戦争を始めさせて、イラクに武器を持たせ過ぎたから、湾岸戦争で引っかけたわけで、さらに今回のイラク戦争でしょう。今更民衆の解放などと言っても信用する方がおかしいのです。
さらに石油などの利権を目当てに戦争をしたのだという見方もあります。
しかしそれは誰のメリットなのかを考えてみましょう。
私の言いたいことはわかりましたか。
仮に戦争賛成だとして戦争をしないことに比べてどれだけのメリットがあるのかどうかを考えるとして、さてそのメリットはいったい誰に対するメリットなのかが問題なのです。
たいていの場合、今回のイラクのような戦場となる国の民衆にメリットはありません。と言ってアメリカの国民にメリットがあったわけでもなく、メリットがあったのはせいぜい軍需残業だけでしょう。
内戦に他国が介入する場合もありますが、これはケースバイケースで、今回のアフガンでは一応はメリットがあったと見ても良いとは思います。
まあ、内戦自体やそれに介入するという形ではなく、いきなり他国に侵攻するような戦争の場合には、リスクは大きく逆にメリットはないか、一部だけに限定される場合が多いと考えられます。
ですから戦争反対を論じる人たちにはそれなりの根拠があって言っているわけです。
それを批判するのであれば、論理の組み立て方という切り口で論じるのはどうかと言っているのです。
やはりこれを論じるにはまずは戦争というもののある程度の分析が必要ではないでしょうか。
No.778) 私は戦争のことを論じているのではありません iwatam(Tue May 17 18:55:25 2005) |
No.779) 戦争の是非 のぞみ(Tue May 17 22:25:22 2005) |
それとアメリカ人が確かにイラク戦争に出て行ったのはもちろんわかっていますよ。
しかしそれは私も書いていますが別に論理を組み立ててどちらが良いのかを論じてのことではないでしょう。
まあ、個々人の事情はいろいろあるでしょう。
私は、自分で戦場に出た人を批判するつもりもないですし。私は少なくとも自分で戦場に出ないで戦争賛成を唱えたり、煽ったりするのはいかがなものか、無責任ではないかという意味で言っただけですから。
さて今のアメリカの軍への志願状況はご存じですか。さっぱり人が集まらなくなっているのですよ。
それは当然です。あれだけ無駄に人が死んでいるのを見れば誰だって志願しなくなります。
志願するとしたらほとんどは金に困っているか、市民権を得たい(市民権がなくても一定期間兵役があればなれる)人でしょう。
要するにアメリカ人もイラク戦争の愚かさに気づいたわけでしょう。
まあ、戦争を論じているのではないそうですから、これくらいにしておきますが。
No.780) そうですね iwatam(Wed May 18 09:19:02 2005) |
No.760) 主観的な立場からみた利己主義 エリー(Sun Apr 24 11:54:38 2005) |
No.765) 主義=意思? ほげげん(Mon Apr 25 15:16:25 2005) |
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「受験生の少年A」の話ですが、
恋を選んでも勉強を選んでもどちらも利己主義なのかと思います。
今まで何度かでた意見かもしれませんが、
やはりそれを選ぶという意思をもった時点でいかなる理由も
利己主義につながってしまうからです。
「主義」というのは「意思」に直結している、また同じ物なのだと
私なりには考えています。
(この辺みんな同じように思っているかちょっと自信ないですが)
この考えから行くと「利他主義」という言葉は矛盾しているのかな
とも思います。
「受験生の少年A」の話に戻りますが、この場合「結果」を
どう見るかが問題なのかなと思います。
「恋を捨て勉強」→「恋できず合格」で後悔したなら
その時点では利他的(あくまで主義ではないです。利他行動とも呼べるのかな?)、将来良かったと思えるならその時は利己的でいいのかな・・・
極論はどっちでもないになってしまいます。
No.768) うまくいえませんが エリー(Wed Apr 27 09:11:03 2005) |
No.770) 利他は優しい ほげげん(Wed Apr 27 13:14:25 2005) |
感情的な事を言ってしまいますが、
利他的行動は好きです。日常の中で見る利他的行動の多くは
「優しさ」という感情要素を持つからです。
(逆に利己的行動の多くは「優しさ」という感情要素を持っていない。)
しかし、利害の勘定をした上での利他的行動はとりたいと思いません。
つまり「優しく」ありたいのです。
「利口な利己主義」は私なりに「優しい利己主義」と受け取りました。
(「優しさ」とか、「利害の勘定」とか結構つっこまれそうですが、感情的な意見なのでどうかご容赦を)
No.771) 悪意と好意 エリー(Thu Apr 28 17:16:03 2005) |
No.772) 紅井林檎(Fri May 13 16:59:36 2005) |
さて、主観的なところから見た利己・利他のお話ですが
実は前に利己・利他の書込みをしたときには、
頭の中に「利己的な存在」と「利他的な存在」を思い浮かべながら書いていました。
利己的な存在を探すのは簡単でした。「自分」をそのまま思い浮かべればいいのですから。
じゃ利他的な存在は?といわれるとこれも案外近くにいるものです。
利他的な存在とは、それはずばり「道具」。
実はあの書き込みは「自分」と「道具」の関係を頭の中で思い浮かべながら書いたのです。
「自分」は常に「自分」のためにせっせと利潤活動を行います。
自分がさらに利益を得られるようにがんばります。
しかし、「道具」は常に「自分」を使う「他人」のためにせっせと利潤活動を行います。
他人の利益のために自分が磨耗しようが、壊れようがお構いなしです。
ちょうど自分の壊れたPCなどはそうだったのかもしれません。
6年間ずっとがんばってくれていましたが、それは自分の為にがんばったわけではありません。
俺の為にせっせとがんばってくれたのです。俺に利益をもたらすために
自分の磨耗を省みずがんばってくれました。
この行動こそが「利他的である」と言えると思うのです。
人は「自分の心」に従う限りどこまで行っても「利他的」になることは出来ません。
なぜなら「生きている」からです。「生きる」ということはもっとも原始的な利己的行動です。
また、自らの心に従って死を選ぶ「自殺」は究極の「利己的行動」なのかもしれません。
エリーさんの例ででてきた少年も、例え答えがわからずに他人に従ったとしても
それは利己的行動だと思います。なぜなら自分の心に従ってその結果を出したのでしょうから。
>感情の変化を書くのがシナリオだと思う
もう一つ付け加えるならば、情景の変化もシナリオには大事な要素だと思います。
情景から感情を表す…というのもまたシナリオの面白いところなのかもしれません。
>主観と客観の続き、「一人称と三人称の違い」などお話しませんか?
興味のある話題です。ぜひお話しましょう。
No.774) 大変でしたね エリー(Mon May 16 18:43:08 2005) |
No.743) 設計についてのリクエスト 紅井林檎(Thu Apr 21 20:20:16 2005) |
No.753) リクエストありがとうございます iwatam(Sat Apr 23 02:23:34 2005) |
No.773) 残念。 紅井林檎(Fri May 13 17:04:47 2005) |