コラム: 現実という虚構 より抜粋。
ホラー映画で「虚構と現実の区別がつかなくなる」問題がよく言われるが、これもはっきりさせておきたい。ホラー映画を見る人は「現実と虚構の区別がつく人」であり、ホラー映画が苦手な人が「現実と虚構の区別がつかない人」である。それも今までの話の延長線上である。ホラーを虚構だと割り切ることができる人はあまり怖がらない。ホラー映画での虚構体験を実体験と同様に受け取ってしまう人は、ジェイソンがスクリーンから飛び出てきて自分を襲うわけはないのに「そんな怖いものはどうか見せないでくれ」とホラー映画を拒絶する。怖すぎて到底見られないのだ。
ホラー映画はある意味自己矛盾を含むジャンルである。ホラーというのは観たくないものを観せることである。だからホラー映画を楽しむためには「これは虚構だ」と主張して現実と虚構の区別をつけなくてはならない。しかしいったんその区別がついてしまうとホラー映画は怖くなくなってしまう。だから虚構を現実の方に近づけること、すなわちリアリティを高める方向に進化する。
だからホラー映画に対して「現実と虚構の区別がつかなくなるのではないか」という心配はあまり当てはまらない。ホラー映画を見る人はすべて現実と虚構の区別がついている人で、あまりにもつきすぎるために悩んでいる人達だ。「スクリーンに写し出される」というだけでリアリティを感じることができなくなってしまう人だ。だからできるだけリアリティのあるお話を見たいと思う。作り手もその要求に従ってできるだけ現実と虚構の区別がなくなるような話をつくる。現実と虚構の区別をつけることのできない人はそれを見て「こんな話では現実と虚構の区別がつかなくなるのではないか」と思う。それは自分にその能力がないだけだ。
この論理で行くと、エロゲーオタクを批判するiwatam氏は現実と虚構の区別をつける能力がない人間となりますが、そう考えてよろしいのでしょうか。
見るからに小学生な女の子に性的虐待を加えるゲームを自分から進んでする人は、みな異常者でしょう。
もう一つ言うと、これは科学的な議論ではないので、科学的根拠は必要ありません。科学はこうした問題に答えを出すためのものではありません。これは哲学的議論です。
返信ありがとうございます。
えーとすいませんが、私は薄学ゆえに哲学的議論というものがどういうものをよく知らないのですがそれって根拠も無くただ自分の気に入らないものをバッシングすることなんですか?ロリコンとペドフェリアの違いとかどこまでを異常者としてどこまでが異常者でないという線引きとかってあなたの思い込み次第なんですか?
「私にとって」どこまでが異常者なのかを書いたのですから、それは当然私の思い込み次第です。
逆に、これに客観的な線引きは究極的にはできないのです。
私は、バッシングしているのではなく、「なぜバッシングされるか」を書いたつもりです。それは、多くの人がこれはバッシングに値すると思うからです。多くの人が「異常だ」と思い込むからです。
つまり、バッシングする多くの人は、それが「自分が異常だと思い込んでいるから」という理由で、しかもそれを自覚してバッシングしているのです。だから、それに対していくら「それはお前の思い込みだ」と言ったところで、「そうだよ」と言われるだけで、バッシングがやむことはありません。
では被バッシング側としても不当なバッシングに対して抗議、抵抗するといったこともやむことはありませんね。一方的に悪だの異常だから排斥してもいい、などといったことは許容できませんから。
もちろん、抗議、抵抗することは必要です。
しかし、単に「抗議する」と言うだけでは何の意味もありません。相手がバッシングをやめようと思うようなことを言わなくてはなりません。
そして、そう思わないのがいかに相手のせいであっても、相手がバッシングをやめようと思わない限り、バッシングは続きます。
普通の人は、単に反対の声が大きいからというだけで考えを変えようとしたりはしないわけですから。
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